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ロナウジーニョの面白いエピソード。1試合23得点?イニエスタへ驚きの電話?

ロナウジーニョ 写真提供: Gettyimages

1980年3月21日生まれのロナウジーニョは昨日40歳となりました。しかし、彼はこのめでたい日を家族や友達などと過ごす事ができなかった。実は3月6日に偽造パスポートでパラグアイに入国した容疑で元ブラジル代表と彼の兄は逮捕され、現在も刑務所で生活しているのだ。

ロナウジーニョの優しい性格や彼の輝かしい笑顔を知っている人にとって彼が刑務所にいるのは信じられない事だろう。この状況がどう解決されるのか未だに明らかになっていないが、今回のコラムでは暗い話を忘れ、彼の面白いエピソードを紹介したい。

ロナウジーニョは素晴らしいスキルを持つアスリートだった上に、楽しさに溢れるプレーを見せていた。優れたパス能力でチームメートを多くのゴールチャンスに導くプレイメーカー的な役割もあったが、彼の最も評価されていた特徴は華麗なテクニックだ。彼のドリブルほど完璧なスキルは存在しない。サッカーの歴史の中で最もサポーターをワクワクさせた選手と言ってもいいだろう。

それでは、ロナウジーニョの面白いエピソードをご紹介しよう。

ロナウジーニョ 写真提供: Gettyimages

学生だった頃、1試合中23得点を挙げたロナウジーニョ

ロナウジーニョが学生の頃にとてつもない記録を達成していたと『calciomercato.com』が2013年に公開された記事で伝えた。

1993年に13歳だったロナウジーニョは、高校のある大会で1試合に23得点も挙げたという。

プロの世界では23得点は1シーズンをかけても取れない選手が多い。得点王を狙っているストライカーだけがそれぐらいのゴールの数にたどり着くのだ。

確かに高校サッカーのレベルはプロの世界と比べれば低いし、ロナウジーニョの故郷ブラジルでは守備の教育が浅いと言われている。しかし、1試合で23得点というのは、4分に1得点のペースでゴールを奪い続けるということ。「すごい」としか言えない出来事だ。

この試合が話題となり、ロナウジーニョの名前はブラジル国内に広まることとなり、彼が所属していたグレミオのアカデミーの試合観戦者も一気に増えたという。

ロナウジーニョ 写真提供: Gettyimages

カンプ・ノウでのデビュー戦は午前0時5分にスタート

2003年7月にロナウジーニョのバルセロナへの移籍が決まり、9月3日(水・スペイン時間)のリーガ第2節ではブラウグラナ(バルセロナの愛称)サポーターの前でホームスタジアムでデビューをした。しかし、試合はとても不思議な時間にキックオフすることになった。午前0時5分だ。

実は、試合は水曜日の夕方に行われる予定だった。しかし、次の週末が代表ウイークであったためブラジル選手は水曜日に故郷に帰国をする予定だったのだ。どうしても獲得した宝物をホームサポーターに紹介したかったバルセロナは、サッカー協会に試合を火曜日に変更できるように頼み込んだ。ただ、この直訴は断られている。

しかし、バルセロナは諦めなかった。再びサッカー協会と連絡をとり、試合を水曜日の午前0時5分(火曜日24時5分)に行われるように頭を下げた。この熱意に負けたサッカー協会と相手チームのセビージャは了解し、ロナウジーニョはホームデビューをしてからブラジルに旅立ったのだ。

試合が不思議な時間に行われたにも関わらず、カンプ・ノウ(バルセロナのホームスタジアム)には85,000人もの観客が足を運んだ。そして、バルセロナは彼らに無料でスナックなどを提供したという。

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名前Uccheddu Davide(ウッケッドゥ・ダビデ)
国籍:イタリア
趣味:サッカー、アニメ、ボウリング、囲碁
好きなチーム:ACミラン、北海道コンサドーレ札幌、アビスパ福岡

14年前に来日したイタリア人です。フットボール・トライブ設立メンバーの1人。6歳の時に初めてミランの練習に連れて行ってもらい、マルディーニ、バレージ、コスタクルタに会ってからミランのサポーターに。アビスパ福岡でファビオ・ペッキア監督の通訳も務めた経験があります。

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