
かつて「インビンシブルズ(無敵のチーム)」として称えられ、アーセン・ベンゲルのもとで美しいパスサッカーを体現し、世界を魅了した北ロンドンの名門アーセナル。しかし現在は、見るも無惨な姿へと変貌している。
ピッチ内外での度重なる不祥事、他者へのリスペクトを欠く振る舞い、そしてクラブ独自のアイデンティティを喪失したかのような模倣文化。勝利のためなら倫理さえも無視するその姿勢は、もはやスポーツマンシップの対極にある。このクラブが現在の状況に至った背景を4つの観点から整理し、その構造的な課題に迫る。

セットプレー偏重が生む“退屈な強さ”
ミケル・アルテタ監督が率いる現在のアーセナルは、表向きは優勝争いを演じているが、その内実は「退屈」と「勝利至上主義」のハイブリッドである。 現在のアーセナルを支えているのは、フットボール最大の魅力である“流れの中からの崩し”ではなく、セットプレーへの過度な依存に他ならない。
リーグ屈指の得点源となっている一方で、オープンプレーからの崩しには物足りなさが残る。実際、プレミアリーグ第32節のボーンマス戦では、オープンプレーからのゴール期待値が0.18にとどまり、攻撃の創造性に課題があることを示した。ボール保持の過程でも、ゴールへ直結する展開よりセットプレー獲得を意識した選択が散見され、戦術の偏りは否めない。
また、戦術の柔軟性にも疑問が残る。ワンパターン化した攻撃は相手に対策されやすく、結果としてFW陣の得点力不足がより強調されている。かつてリバプールで成果を上げたトーマス・グロネマーク氏をスローイン専門コーチとして招聘した点も、彼らが“飛び道具”に頼らざるを得ない手詰まり感を露呈している。
もちろん、こうした戦術はルールの範囲内であり成果も出している。しかし、「これでいいのか?」という疑問は残る。元所属選手のMFジョルジーニョがアーセナル退団について「アルテタがセットプレーに重点を置くことに退屈さを感じた。セットプレーを優先すると美しいサッカーをプレーできなくなる」とセットプレー偏重のスタイルに対して違和感を示したとされる発言は、その一端を示唆している。
セットプレーのゴール、創造性の欠如、リードしている時のファウルと時間稼ぎ。アーセナルの選手たちは、まるで独自のスポーツをプレーするかのようにも映る。これが今後のフットボールの方向性なのであれば、流動性が魅力であるフットボールの価値は大きく低下することになるだろう。
さらに、補強戦略も迷走している。2025年夏に大型補強で迎え入れたMFエベレチ・エゼやFWビクトル・ギェケレシュといった実力者も、本来の持ち味を十分に発揮できているとは言い難い。エゼはクリスタル・パレス時代に魅せた創造性に明らかな陰りが見られる。ギェケレシュのゴールへの嗅覚は、ポルトガルでこそ発揮されていた印象が強い。2026年に入りようやく得点を重ね始めているものの、脅威というよりは物足りなさが先行している。
この問題は、個々の能力というよりも、チームとしての起用法や設計に課題があることを示している。何より見逃せないのが、指揮官自身の振る舞いである。アルテタ監督は試合中にテクニカルエリアを大きく逸脱する場面が見られ、タッチライン際で相手選手にプレスをかけたりスローインを妨害するなど、相手プレーへの関与とも受け取られかねない行動が指摘されている。これは「情熱の表れ」と捉えることもできるが、「規律」という観点では議論の余地がある。指揮官がルールを守れないチームに、規律ある戦術など期待できるはずもない。

「模倣」で彩られたアイデンティティ
現在のアーセナルには、独自の文化を創り出す気概も感じられない。彼らの行動は常に「模倣と引用」に傾いており、他クラブの歴史や伝統へのリスペクトも十分とは言い難い。他者の歴史に依拠しようとする空虚なアイデンティティが、チーム全体を覆っているようにも見える。
リバプールの「This means more」やバルセロナの「More than a club」といった、長年の歴史に裏打ちされた高潔なスローガンに対し、アーセナルは十分な文脈を伴わないまま自らのイメージに取り込もうとしている。上辺だけを飾り立てるその姿勢は結果として借用の域を出ず、まさにブランドで身を固めた中身のない成金のようにも捉えられる。
スローガンの模倣にとどまらず、応援スタイルの模倣にも積極的だ。2022年に採用されたアンセム「North London Forever」や、欧州のウルトラス文化を参照した「アシュバートン・ウルトラス(Ashburton Army)」など、急造された伝統は少なからず違和感を残している。また昨シーズンのチャンピオンズリーグで披露された「小さな大砲」のティフォが嘲笑の対象となったように、彼らが必死になればなるほど、その“作られた感”が浮き彫りになってしまう。
ゴールパフォーマンスにおいても同様の傾向が見られる。MFデクラン・ライスはMFスティーブン・ジェラード(リバプール)の「カメラへのキス」を想起させる動きを見せ、DFルイス・スケリーはFWアーリング・ハーランド(マンチェスター・シティ)の「瞑想」ポーズ、FWブカヨ・サカはMFジェームズ・マディソン(トッテナム・ホットスパー)の「ダーツ」を思わせる仕草を披露した。
こうした振る舞いはオリジナリティの不足を印象づけるだけでなく、ライバルへの軽率な挑発と受け取られる可能性もある。結果として、自らのアイデンティティの曖昧さを際立たせてしまっているとも言えるだろう。それでもなお、こうした「模倣」がクラブの一部として定着しているのであれば、皮肉にもそれ自体が現在のアーセナルを象徴する要素になっているのかもしれない。
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