
規律と倫理が問われるクラブ体質
選手、スタッフ、そして組織全体において、コンプライアンス意識と判断の精度に課題が見られる点は看過できない。勝利を優先するあまり、倫理的な配慮が後景に退いているように映る場面もあり、組織としての健全性には疑問が残る。とりわけ注目されるのが「スポーツマンシップ」の観点だ。
ピッチ内での立ち振舞について厳しい目が向けられており、その一例としてFWガブリエウ・マルティネッリの横柄な態度が議論を呼んだ。プレミアリーグ第21節のリバプール戦では、負傷して倒れ込んだDFコナー・ブラッドリーに対してボールをぶつけ、ピッチ外へ無理やり押し出そうとする配慮を欠いた行動が見られた。この行為に対し、ガリー・ネビル氏が強く批判したことも記憶に新しい。その後、SNSで謝罪があったものの、FAカップ準々決勝のサウサンプトン戦でも審判との接触を伴う行為が見られ、規律面での改善には疑問が残る。
こうした問題は選手個人にとどまらず、チームスタッフの対応にも議論の余地がある。チャンピオンズリーグ、リーグフェーズ第3節でアトレティコ・マドリードをホームで迎えた際の試合前日の施設対応や、カラバオカップ準決勝のチェルシー戦でのウォーミングアップエリアを巡るトラブルなど、相手チームとの関係性に影響を及ぼしかねない事象が報告されている。これらが意図的であったかは断定できないものの、結果として相手に不信感を与える対応であったことは否めない。
さらに、クラブのガバナンスを巡る問題として大きな議論を呼んだのが、トーマス・パーティを巡る一連の事案である。彼は2021年から2022年にかけて複数の女性から強姦および性的暴行で訴えられ、警察の捜査対象となっていた。しかしクラブは、パーティが逮捕はされたが正式な起訴には至っていない段階にあったことや推定無罪の原則に従い、彼をチーム活動に帯同させ試合で起用し続けた。この対応は法的原則を尊重したものと評価する見方がある一方で、倫理的配慮やリスクマネジメントの観点からは疑問を呈する声も少なくない。その後、クラブの退団が決まった2025年7月にパーティは正式に起訴されている。
彼を巡るアーセナルの対応は、司法手続きとクラブとしての社会的責任のバランスという難題を浮き彫りにした。他クラブでは疑惑段階で活動停止措置を取った事例もあり、それらと比較した場合、対応のあり方について議論が生じるのは自然な流れだろう。仮に最終的な司法判断がいかなるものであったとしても、長期間にわたり疑惑を抱えたまま選手を起用し続けたという事実は、クラブのイメージや信頼性に影響を与えかねない。
総じて、現在のアーセナルは競技面での成果と引き換えに、規律や倫理といった側面で課題を抱えているように映る。これらをどのように是正していくのかが、クラブの将来を左右する重要なテーマとなるだろう。

攻撃性を帯びたサポーター文化に潜むモラルの崩れ
アーセナルの価値を下げているのはクラブだけではない。そのファンやサポーターの振る舞いもまた、地に落ちている。彼らの度を越した行為がたびたび議論を呼び、その質に疑問符が付けられているのが現状だ。
例えば、あるサポーターが前週の試合で膝を負傷したDFクリスティアン・ロメロ(トッテナム・ホットスパー)に対し、街中で「2部でも頑張れよ」と不適切な言葉を投げかける様子がSNSで拡散され批判が集まった。こうした出来事は海外の話として片付けられがちだが、日本でも無関係ではない。
2025年夏、日産スタジアムで行われたリバプール対横浜F・マリノスのプレシーズンマッチにおいても、問題視される行動が確認された。新横浜駅周辺で、アーセナルのユニフォームを着用した一部の人物がリバプールファンに対し、交通事故で他界したFWディオゴ・ジョタに対するヘイトチャントを繰り返したとされている。もちろん、どのクラブにも節度を欠くファンは存在するが、こうした事例が積み重なることで、クラブ全体のイメージに影響を及ぼしているのは否定できない。
また、矛先は時に身内にも向けられる。カラバオカップ決勝でマンチェスター・シティに敗れた後には、失点に関与したGKケパ・アリサバラガに対する過度な批判がSNS上で拡散された。日本を含め、こうした誹謗中傷が見受けられる点は看過できない。振り返れば、かつてキャプテンを務めたMFグラニト・ジャカへのブーイングや、結果が振るわなかったFWカイ・ハバーツの家族への脅迫文送付など、サポーターの過激な振る舞いが問題視されたケースは過去にも存在する。
2018/19シーズンのUEFAヨーロッパリーグ決勝でチェルシーに敗れた際、多くのファンが自チームを徹底的に批判し、SNS上では当時指揮を執っていたウナイ・エメリ監督や主力選手に対する否定的なコメントが溢れかえった。そこには「共に戦う」というサポーター本来の矜持はなく、ただ結果のみを求め、感情のはけ口として攻撃的な言動に走る構図が見え隠れする。
アーセナルやフットボールそのものを媒介として自己表現を行うこと自体は否定されるものではないが、その手段が他者への攻撃に傾くのであれば健全とは言い難い。こうした問題提起に対して反発が生じることも想定される。しかしその反応もまた、現在のサポーター文化の一側面を映し出す材料となるだろう。
かつて美しく勝利したクラブは今、そのスタイルや価値観に変化が生じている。勝利のために魂を売り、フットボールの品位という観点からも議論を呼ぶ存在となっている。彼らが再び心からリスペクトされるためには、こうした方向性を見直す必要があるだろう。このダークサイド的流れがフットボール界で肯定されるべきでないことは明白だ。
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