Jリーグ 鹿島アントラーズ

柳沢敦、大迫勇也、鈴木優磨「鹿島産FW選手の流儀」とは?

大迫勇也、鈴木優磨、柳沢敦 写真提供:Gettyimages

J1リーグ8回、天皇杯5回、Jリーグカップ6回、AFCチャンピオンズリーグ1回の主要タイトル20冠を獲得してきた常勝・鹿島アントラーズが完全復調の気配だ。

昨年に続く2年連続の開幕からの成績不振が続いた4月14日、アントニオ・カルロス・ザーゴ前監督を解任し、クラブOBの相馬直樹コーチが昇格。元日本代表の左SBにしてクラブの“レジェンド”である相馬新監督の下、J1リーグは5試合で4勝1分無敗。YBCルヴァンカップも1勝2分無敗。流れは完全に変わった。

鹿島はJリーグ創設元年の第1ステージ(サントリーシリーズ)で優勝以来、強豪の地位を確立し続けてきた。接戦を勝利で締め括る勝負強さを指して「鹿島る」という造語が生まれるほどだ。


ジーコ 写真提供:Gettyimages

常勝・鹿島を支える2トップ

鹿島の黄金期はJリーグ創設から世界的名手のジーコやジョルジーニョ、レオナルドが在籍した1998年頃まで、トニーニョ・セレーゾ監督の就任初年度で3冠を達成した2000年~2002年頃、オズワルド・オリベイラ監督就任からリーグ3連覇を含む5年連続主要タイトルを獲得した2007~2011年頃(2012年にもJリーグヤマザキナビスコ制覇で6年連続タイトル獲得)、7年ぶりのJ1制覇を達成した2016年~初のアジア制覇となった2018年頃までの4回ほどに分かれている。創設29年目のJリーグに置いて、すでに黄金期を4度迎えているのだから「1人勝ち状態」である。

もちろん、世代交代を必要とする主力の入れ替えの時期にタイトルから遠ざかる時期はあったものの、無冠期間は2003年から2006年までの4年間が最長だ。その期間は日本人選手が初めて欧州各国リーグへ移籍する流れが出来始めた頃で、鹿島の場合もその影響が強かったと考えられる。

全てを勝ち取って来た鹿島だが、実は鹿島に在籍した選手で得点王を獲得したのは、2008年に21得点を挙げたマルキーニョスただ1人である。

そのマルキーニョスが歴代フォワード(FW)陣の中でも最も守備に運動量を割いたハードワーカーだった事が象徴しているように、鹿島のFWには攻守に渡って運動量を要求される。その負担が個人としての得点量産にはあまり繋がらず、得点王どころか1シーズンで15得点を越える選手も少ない傾向にあるのだろう。実際、鹿島でのマルキーニョスは得点王を獲得したシーズン以外は15得点以下に終わっている。

鹿島の日本人FWは日本代表の主力に抜擢されるケースが多い。しかし、J1で2桁ゴールを記録した回数は、柳沢敦(現鹿島ユース監督)が2回(後に京都サンガ時代に1回)、大迫勇也(現ブレーメン・ドイツ)も1回である。2002年の日韓W杯の開幕戦でベルギー相手に貴重なゴールを決めた鈴木隆行氏にいたっては、キャリアを通してJ1通算17得点のみに終わっている。

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