ワールドカップ

日韓W杯のトルコ大躍進を支えた、個性派守護神リュシュテュの先進性

著者:キーシャーナン・サンダレザン(翻訳:マリオ・カワタ)

 どういう訳か、友人とゴールキーパーについて話をするたびに私の頭には映画『300(スリーハンドレッド)』とジェラルド・バトラーが浮かぶ。フットボールが戦争なら、ゴールキーパーは勝利と敗北、歓喜と絶望、天国と地獄を分ける守備の最後の砦だ。熱狂的なファンであれば、生と死とさえ言うかもしれない。

 2002年当時9歳だった私にとって、リュシュテュ・レチベルはまさにそれを象徴する存在だった。ピーター・シュマイケルも見たことがあったし、オリバー・カーンの武勇伝も耳にしていたが、リュシュテュは特別だった。もしかしたらそれは目の下に入れた黒いラインや、怪傑ゾロのような髪型のせいかもしれない。 あるいはリュシュテュがダークホースのトルコ代表を世界最高の舞台で準決勝へと導いた、物語性のせいだった可能性もある。おそらくは、これら全ての影響だろう。

 当時のトルコ代表には多くのヒーローがおり、2002年W杯を通してのチーム内での影響力の大きさを考えれば、一番人気だったのはハサン・シャシュだろう。しかし彼らが勝者のメンタリティを身につけ、予選を突破して決勝トーナメントに進出し、その後優勝を果たすブラジル代表を相手に準決勝で好勝負を演じるには、守備の絶対的な自信が必要だったはずだ。

 W杯前にフェネルバフチェをリーグ2位に導いたリュシュテュは、当時まだ珍しかったディフェンスラインの後ろで存在感を発揮するスイーパー型のゴールキーパーの一人として、既に高い評価を得ていた。しかし彼を世界的に有名したのは、日本と韓国での活躍だった。

 そしてなにより、彼のプレーは素晴らしかった。リュシュテュの存在によって対戦チームはトルコを相手にセットプレーからゴールを奪うことが難しく、常識破りな高いポジショニングによってトルコはディフェンスラインを押し上げて積極的に相手にプレスを掛けることができた。

Previous
ページ 1 / 2