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サッカー史に残るPKミス10選

アサモア・ギャン 写真提供:Gettyimages

7位:アサモア・ギャン(ガーナ)

アサモア・ギャンは、ガーナのアクラ出身のサッカー選手。現在はインドプロサッカーリーグのノースイースト・ユナイテッドでプレーしている。アサモア・ギャンが外した大切なPKは、2012年アフリカカップのガーナ対ザンビアの準決勝だった。試合の序盤でガーナがPKを獲得するも、ギャンが外してスコアは0-0のまま。後半終了10分前にザンビアのエマヌエル・マユカがゴールを決めて決勝進出を果たした。


フランチェスコ・グラツィアーニ(1984チャンピオンズカップ決勝)写真提供:Gettyimages

6位:フランチェスコ・グラツィアーニ(イタリア)

フランチェスコ・グラツィアーニは、イタリアのローマ出身の元同国代表の元サッカー選手。主にローマとトリノで活躍した。グラツィアーニのPKの失敗は、1984年ローマ所属時のチャンピオンズカップ(UEFAチャンピオンズリーグの旧略称)リバプール相手の決勝戦だった。グラツィアーニとブルノ・コンティがPKを外し、5-3でリバプールが勝利して優勝を果たした。ローマ史上最も痛い敗戦としてサポーターの記憶に残っている。


アンドリー・シェフチェンコ(2005CL決勝)写真提供:Gettyimages

5位:アンドリー・シェフチェンコ(ウクライナ)

アンドリー・シェフチェンコは、ソビエト連邦ウクライナ、キエフ州出身の元サッカー選手。現在はウクライナ代表監督を務めている。選手時代は主にミランで活躍した。シェフチェンコのPKの失敗は、2005年UEFAチャンピオンズリーグでのミラン対リバプールの決勝である。前半のうちに3点リードしたミランだったが、後半最初の7分でリバプールが同点に追いつく。PK戦となり、シェフチェンコがPKを外してミランが敗れた。


アサモア・ギャン(2010W杯準々決勝)写真提供:Gettyimages

4位:アサモア・ギャン(ガーナ)

この負のランキングに2度も登場するアサモア・ギャン。7位のシーン同様に、またも代表戦でのPKの失敗が4位にもランクインした。4位となったのは、2010年ワールドカップでのPKの失敗である。準々決勝でウルグアイと対戦したガーナ。1-1で延長戦に突入し、延長戦の終了間際にガーナがPKを獲得する。しかし、このPKをギャンが外して延長戦は1-1のまま終了。PK戦ではウルグアイが4-2で勝利して準決勝にコマを進めた。

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名前:Larese Emanuele(ラレセ・エマヌエレ)
国籍:イタリア
趣味:サッカー、テニス、読書
好きなチーム:ASローマ、FC東京

16年前に来日したローマ出身のイタリア人です。SBヴァンサン・カンデラのユニフォームを貰い、ASローマのサポーターになりました。主に、翻訳と通訳を中心に活動しています。

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