代表チーム イタリア代表

イタリア代表の新ユニフォーム。物議を醸す、緑色のデザインについて…

写真提供: outpump.com

9月13日の深夜(日本時間)に行われたイタリアVSギリシアの試合でイタリアは勝利し、ユーロ2020の出場が決定した。3試合まだ残っているのに、こんなに早く出場が決まるのは本当に久しぶり。しかし、喜ぶべきイタリア人のサポーターは別のことに気を取られている。

新3rdユニフォームの緑とゴールドは侮辱?

それはギリシア戦で使われた新しい3rdユニフォームです。サポーターはこの新しいユニフォームを国への侮辱だと強く感じている。理由は二つです。一つは色です。今までイタリア代表は青、または白という色のユニフォームを使い、戦ってきた。マーケティングの戦略で色が変えられたのは気に食わない。

もう一つの理由は胸にあるバッジがゴールド色になったことです。胸のバッジにはイタリアの国旗が描かれている。国旗の色がゴールドになっていることは国、そしてすべてのイタリアの国民にとって失礼なことにあたると感じている。

確かに「緑にゴールド」で戦っているイタリア代表を見ると、どうしても違和感がある。しかし、私はこの新しいユニフォームはイタリアの文化を侮辱するものではなく、むしろ大事にしていると思います。

デザインしたプーマのコンセプト

サッカー界だけではなく、時代が変わると、当たり前なことにデザインも変わる。皆さんはお父さんとお母さんが子供だった頃のアルバムを見るとき、違和感を感じませんか?写真に写る人たちの服、ネクレス、メガネなど…「古い」という印象を受けて、そのデザインが自分に合わないと思う人が多いでしょう…

サッカーユニフォームも同じだと思う。少しずつ進化するべきです。例えば今年、ナイキとアディダスのデザイナーが素晴らしい3rdユニフォームをたくさん作った。90年代の歴史をコンセプトにして、現代のデザインを加えた。アーセナル、インテル、ローマなどの3rdユニフォームはそのパターンで作られ、人気を集めた。

プーマが作ったイタリア代表の3rdユニフォームも同じ目的です。イタリアの歴史を大事にした上で、インパクトのあるユニフォームを作ることだった。そして、この数年の最強のユニフォームを作ったと思う。緑色とゴールドのバッジはイタリア・ルネサンス史をテーマにしたデザインで、とても美術的です。

ルネサンス史は我々イタリア人が世界中最も輝いた時代です。このユニフォームは60年ぶりにワールドカップ出場できなかったイタリア代表に「生まれ変わろう」そして、「再び輝こう」というメッセージを伝えるために作られた。この印象を受けている。

写真提供: Gettyimages

「フォルツァ アズーリ(頑張れ青)」も変えればいい

このユニフォームは本当に我々の文化への侮辱なのか…それは違うと思います。まず、イタリア代表は緑のユニフォームを着て戦ったのは初めてではない。50年前以上、1954年12月5日にオリンピコ・スタジアムで行われたイタリア対アルゼンチンで緑色のユニフォームが使われていました。

また、サポーターが心配しているのはイタリア代表を応援できなくなることだ。イタリア人は代表を応援する時に「フォルツァ アズーリ」、「頑張れ青」と叫んで応援する。ユニフォームが青ではなく緑色になった場合、どう応援すればいいのがわからないと…

まず、緑色なのは3rdユニフォームのみ、ほぼ使われないユニフォームです。そこまで心配しなくてもいいのでは?また、なぜイタリア代表を「フォルツァ アズーリ」という言葉で応援し始めたのは思い出していただきたい。

写真提供: Gettyimages

以前、我々は普通に「フォルツァ イタリア」、「イタリア頑張れ」と叫んで応援して、それが当たり前なことだった。しかし、1994年にベルルスコーニが設立した政治グループのせいでイタリア代表の応援の仕方が変わった。その政治グループの名前は今も現在している「フォルツァ イタリア」という名前がある。当時のサポーターが「フォルツァ イタリア」を叫ぶと、政治に対する応援になるではないかと心配して、応援の言葉は「フォルツァ イタリア」から「フォルツァ アズーリ」に変わった。

仮にイタリアのホームユニフォームも緑色になったとしても、応援のやり方を変えればいいだけの話です。今サッカー協会とサポーターはこのイタリア代表をもっと強くさせることだけを考えて行動するべきです。そして、生まれ変わった3rdユニフォームも私たちにそうしろと言っている気がする。

名前Uccheddu Davide(ウッケッドゥ・ダビデ)
国籍:イタリア
趣味:サッカー、アニメ、ボウリング、囲碁
好きなチーム:ACミラン、北海道コンサドーレ札幌、アビスパ福岡

14年前に来日したイタリア人です。フットボール・トライブ設立メンバーの1人。6歳の時に初めてミランの練習に連れて行ってもらい、マルディーニ、バレージ、コスタクルタに会ってからミランのサポーターに。アビスパ福岡でファビオ・ペッキア監督の通訳も務めた経験があります。

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