海外日本人選手

【田島翔のサッカー人生】自ら営業までこなして函館から世界へ

ソウル・ユナイテッドの田島翔 写真提供:幸坂浩

FT:
うわぁ…選手生命を脅かすような怪我ですよね。

田島:
脚を切断する可能性もあるって言われました。

FT:
それでも選手は続けたいっていう思いがあったんですか。

田島:
まだJFLで、目標はJリーグだったので、せっかくここまで来たんだから目指したいって気持ちはありましたよね。

FT:
その後クロアチアやスペインなどを渡り歩いて、ロアッソ熊本で目標だったJリーガーになられます。

田島:
はい、そうですね。

FT:
そしてニュージーランドやアメリカ、現在は韓国でプレーされているわけですが、海外でプレーするということは、「助人」としてプレーするということです。同じくらいのレベルの選手であれば自国の選手が獲られる、厳しい環境に身を置いてこられたわけですが、「助人」という立場についてどのように考えていますか?

田島:
最初に外国人枠を意識したのは、シンガポールの時で、セルビアとかアフリカ系の選手がすごく多かったんですよね。なので、シンガポールの選手と同じレベルでは全く意味がなくて。それ以上の結果を出すのはもちろんなんですけど、それにプラスして、自分がチームに入ることで何をもたらせるのかっていうことを、売り込むときにやっているんです。

FT:
シンガポールに行った時は、言うなれば何も肩書のない状態だったと思うので、難しかったんでしょうね。

田島:
そうですね。

FT:
そこからさまざまな国でプレーされて「経験値」を得たわけですが、自分を売り込む際にその「経験値」はやはり役に立ちますか?

田島:
間違いなく役に立ちます。最初に興味を持ってもらえるんです。それから、見てみようということになるので。経験を示せないと、実際に見たい、というところまでいかないんですよね。

FT:
なるほど、そうですよね。

田島:
そういった部分で、まず見てもらえるので「経験値」はすごく大きいと思いますね。

FT:
門前払いのような経験もあるんですか?

田島:
履歴書送って返事が来ないっていうのは頻繁にあります。返事が来ればそれだけでありがたいっていう感じです。返事が来なくて当たり前なので、返事が来なくても嫌な気分になるようなことは全くないです。

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