アジア Jリーグ

独自のサッカーで徳島と日本に功績を残すスペイン人指揮官リカルド・ロドリゲス

著者:ガブリエーレ・アネッロ

 どんなリーグにも、特に外国人には2種類の監督がいる。1つ目のグループはピッチ上でのカリスマをベンチでも発揮する元有名選手で、Jリーグで言えばドラガン・ストイコビッチやトニーニョ・セレーゾがこれに当てはまる。2つ目のグループは異なる文化から新しい環境に飛び込み、独自のサッカーで名を上げる監督たちであり、その例としてはアーセン・ベンゲルやルイス・フェリペ・スコラ―リ、カルロス・ケイロスらが挙げられる。

 後者には、もうすぐリカルド・ロドリゲスの名前が加わるかもしれない。

 クラブの歴史上1シーズンしかJ1で過ごしていない徳島ヴォルティスのようなJ2クラブを率いながら、スペイン人指揮官は昇格を目指すと同時にクラブに独自のブランドのサッカーを導入しようとしている。そして徳島は、それにぴったりの場所かもしれない。

 日本に辿り着くまでには、長い道のりがあった。ロドリゲスはオビエドで生まれ、わずかな間選手としてプレーしたが怪我により現役生活を終えた。しかしサッカーの世界でキャリアを続けたかった彼は指導者の道に進み、スペインだけでなくメキシコ・シティにあるレアル・マドリードのアカデミーでも選手たちを指導している。

「レアル・オビエドではラドミル・アンティッチやルイス・アラゴネスのような重要な監督の近くで働くことができたが、メキシコでの経験も成長するために同じくらい重要だった。私はとても若かったが、違う種類のサッカーを目にすることができた。それに当時はリカルド・ラ・ボルペやペップ・グアルディオラがメキシコにいたんだ。こうした状況で働くことは、監督としての成長のために非常に重要だった」

 レアル・マドリードでの仕事を終えた後、ロドリゲスはサウジアラビアで新しい経験を積み、その後はタイで3つの異なるクラブを指揮した。当初は結果が結果がついてこなかったが、スペイン人監督は「フエゴ・デ・ポジシオン(ポジショナルプレー)」に自信を持っていた。

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