Jリーグ

事実上の“Jリーグ追放”?Y.S.C.C.横浜の役目は終わったのか

Y.S.C.C.横浜 写真:Getty Images

明治安田J3リーグのY.S.C.C.横浜(YS横浜)は、12月7日に行われたJFL(日本フットボールリーグ)との入れ替え戦で、JFL2位の高知ユナイテッドを相手に2試合合計1-3で敗れ(第1戦1-1、第2戦0-2)、Jリーグ退会とJFLへの降格が決まった。

これはJ1からJ2、J2からJ3への降格とはワケが違う。Jリーグ退会は、“アマチュア”からの再出発を求めるものだ。仮に来2025シーズンJFLで2位以内に入ったとしても、再び入会資格を審査されることになる。事実上、“Jリーグからの追放”と言える。

敗戦から2日後の9日、YS横浜の代表取締役の吉野次郎氏が公式サイト上で「Y.S.C.C.を応援してくださる全ての皆さまへ」と題した声明を発表した。

「日頃よりY.S.C.C.へ、温かいご支援とご声援を頂戴し、誠にありがとうございます」「7日に行われました、入れ替え戦の結果を受け、Jリーグを退会することとなり、2025シーズンはJFLに戦いの場を移すことになりました」「最後までご声援を送り続けてくださったファン・サポーターの皆様、ご支援いただいているスポンサー企業の皆様、そしてY.S.C.C.に関わる全ての皆様のご期待にお応えすることが出来ず、誠に申し訳ございません」「来シーズンは1年でJリーグへ復帰する為、全精力を注いで邁進してまいりますので、今後とも変わらぬご声援のほどよろしくお願いいたします」

ここではYS横浜のこれまでを振り返り、Jリーグにおける役目や今後の展望について考察する。


全日本空輸 写真:Getty Images

Y.S.C.C.横浜の成り立ちと歴史

「Y.S.C.C.」とは「横浜スポーツ&カルチャークラブ」の略称で、その名の通り、横浜の本牧地区を拠点とした総合型地域スポーツクラブだ。J2クラブライセンスを取得するために、2019年に運営会社が株式会社化されたものの、実質上、その株主であるNPO法人によって運営されている希少なクラブだ。

その歴史は古く、1964年に結成された「横浜・中区スポーツ少年団」をルーツとしている。しかし、プロ化を見据えたサッカークラブへの変革を目指して全日空が資本参加し、1984年、JSL(日本サッカーリーグ)1部へ昇格。それと同時にクラブは全日空の完全子会社「全日空スポーツ」が運営する「全日空横浜サッカークラブ」となる。

しかし1986年、設立当初の理念である「地域に根ざしたクラブ」を無視した企業スポーツとしてのクラブ運営に疑問を持った選手が、OBやスタッフと共謀する形で前代未聞のリーグ戦ボイコット事件を起こした。(1986年3月22日、西が丘サッカー場でのJSL第22節三菱重工戦でクラブ運営に不満を抱いていた選手6名が試合をボイコットし、当該選手は無期限登録停止、クラブにも翌シーズンのJSLカップを含む3か月間の公式戦出場停止の処分)

その末、1986年9月に新設されたのが「横浜スポーツクラブ」であり、YS横浜は現在でもこの年を設立年度としている。1987年には「横浜サッカー&カルチャークラブ」に改称。翌1988年、神奈川県リーグ3部からスタートし2年連続で昇格し、1990年には1部に。2002年には運営母体をNPO法人化、クラブ名も現在の「横浜スポーツ&カルチャークラブ」となる。

2003年、関東リーグが2部制を導入したことによって、関東リーグ2部に参入したYS横浜。2年目の2004年に2部2位となり、1部に昇格。2006年には1部で初優勝を果たした。2011年、関東リーグ1部で4度目の優勝を果たし、全国地域サッカーリーグ決勝大会(地域CL)で4回目の挑戦の末に初優勝、JFL昇格を果たした。


Y.S.C.C.横浜 サポーター 写真:Getty Images

Jリーグへ参入してから

2013年、翌シーズンからのJ3創設が発表されると、YS横浜はJリーグ参入へと方針転換する。ホームスタジアムを三ツ沢球技場とし、Jリーグへの入会が承認されJ3へ参入した。“J3オリジナル11(参加12チームのうち特別枠の「Jリーグ・アンダー22選抜」を除いたもの)”の1つに数えられている。

YS横浜の代表取締役でNPO法人の理事長も務める吉野氏にとって、本牧地区は生まれ育った地元であり、人一倍思い入れの強い土地だろう。吉野氏の思いを具現化するように「地域はファミリー」をスローガンに、簡易宿泊所で暮らす日雇い労働者の多い寿地区においてスタッフが無料の健康相談を催したり、管理栄養士やコーチらが足を運び、毎月1回、栄養や口腔衛生、健康体操、睡眠、サッカーなどの各講座を開き、運動不足解消のための「ウォーキングサッカー大会」も開催している。

設立当初から中学生年代を中心とした育成型クラブであり、ホームゲームの試合前にはスクール生が諸々の準備を務め、試合が始まるとゴール裏でトップチームに声援を送る姿が見られる。Jリーグの中では異彩を放つクラブだ。

しかし、その異質なクラブコンセプトは、Jクラブが60を数える現在、時代にそぐわないものとなってしまった。J3ならJ2、そしてJ1を目指すのは当然という空気の中、外野から見れば「昇格する気概が見えない」印象を与えてしまったからだ。

そしてついに今2024シーズン19位に終わり、2023シーズンから始まった(2023年は、J3参入資格を持たないHonda FCがJFL優勝、ブリオベッカ浦安が2位となったため開催なし)J3・JFL入れ替え戦に回った末、「高知県にJリーグを」のスローガンの下、県全体の期待を背負って戦いに挑んできた高知ユナイテッドの勢いと執念に屈した。

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名前:寺島武志

趣味:サッカー観戦(Jリーグ、欧州5大リーグ、欧州CL・EL)、映画鑑賞、ドラマ考察、野球観戦(巨人ファン、高校野球、東京六大学野球)、サッカー観戦を伴う旅行、スポーツバー巡り、競馬
好きなチーム:Jリーグでは清水エスパルス、福島ユナイテッドFC、欧州では「銀河系軍団(ロス・ガラクティコス)」と呼ばれた2000-06頃のレアルマドリード、当時37歳のカルロ・アンチェロッティを新監督に迎え、エンリコ・キエーザ、エルナン・クレスポ、リリアン・テュラム、ジャンフランコ・ゾラ、ファビオ・カンナヴァーロ、ジャンルイジ・ブッフォンらを擁した1996-97のパルマ、現在のお気に入りはシャビ・アロンソ率いるバイヤー・レバークーゼン

新卒で、UFO・宇宙人・ネッシー・カッパが1面を飾る某スポーツ新聞社に入社し、約24年在籍。その間、池袋コミュニティ・カレッジ主催の「後藤健生のサッカーライター養成講座」を受講。独立後は、映画・ドラマのレビューサイトなど、数社で執筆。
1993年のクラブ創設時からの清水エスパルスサポーター。1995年2月、サンプドリアvsユベントスを生観戦し、欧州サッカーにもハマる。以降、毎年渡欧し、訪れたスタジアムは50以上。ワールドカップは1998年フランス大会、2002年日韓大会、2018年ロシア大会、2022年カタール大会を現地観戦。2018年、2022年は日本代表のラウンド16敗退を見届け、未だ日本代表がワールドカップで勝った試合をこの目で見たこと無し。
“サッカーは究極のエンタメ”を信条に、清濁併せ吞む気概も持ちつつ、読者の皆様の関心に応える記事をお届けしていきたいと考えております。

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