Jリーグ サンフレッチェ広島

Jリーグ好きなら知っておくべきバンディエラ【3】サンフレ広島・青山敏弘

サンフレッチェ広島 MF青山敏弘 写真:Getty Images

レベルの高い大きなクラブへ移籍し、大きな栄光を、年俸を手にする。個人事業主のプロサッカー選手にとって、その目標はごく自然なものだ。反面、結果を残せずに契約満了となる選手も少なくない。従ってサッカー界では毎年多くの選手が移籍する。

それが当たり前だからこそ、サポーターはごく少数の“そうではない選手”に惹きつけられる。「バンディエラ(チームの象徴的存在)」。同じクラブで長期間プレーする選手のみに与えられるこの称号の価値は、クラブを熱く応援したことがある人間でないと分かりにくいものだろう。

そこで各クラブのバンディエラにスポットを当て、改めてその選手の凄さを伝える。第3弾は、2004年のプロデビュー以来サンフレッチェ広島一筋の、背番号6・青山敏弘(36)だ。

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ミハイロ・ペトロヴィッチ監督 写真:Getty Images

青山に影響を与えた2人の人物

サッカーで時折使われる「糸を引くようなパス」という表現。この言葉がこれほど似合う選手が、他にいるだろうか。青山の右足から放たれたボールは、多くの場合直線的に味方の選手へ届く。惚れ惚れするようなこのパスとゲームメイク力、またこういったタイプの選手には珍しいほどの運動量が持ち味だ。本人の努力、そして2人の人物との出会いが、キャリアに大きな影響を与えてきた。

1人は、ミハイロ・ペトロヴィッチ監督。現在北海道コンサドーレ札幌で監督を務める名将は、2006年5月に当時J1リーグで低迷していたサンフレッチェの監督に就任。プロ入りしたものの出場機会を得られず、さらに2005年に左膝前十字靭帯の断裂という大怪我を負うなど難しい時期を過ごしていた青山を見出したのはこの指揮官だった。

青山はボランチで起用されるようになり、J1残留に大きく貢献。翌2007年も出場を重ねた。ただしこの年チームはJ2降格してしまう。しかしここでクラブも、ペトロヴィッチ監督もブレなかった。クラブは継続路線を選択し監督留任となり、そして監督は青山を起用し続け、見事1年でのJ1復帰を遂げた。それも、42試合で勝ち点100という圧倒的な数字を残して。

そしてもう1人が、佐藤寿人(2020年現役引退)である。2012年にはリーグMVPと得点王を獲得することになるストライカーの佐藤が、サンフレッチェに移籍してきたのは2005年。青山とは当初から親しかったわけではないが、ペトロヴィッチ監督のもと評価を高めた青山に対し、佐藤が積極的に要求するようになった。

これに応えるべく練習を重ねたことで青山は成長し、青山のパスに佐藤が抜け出し得点を決めるシーンは数知れず。アシストに公式記録はないが30を越えていることは間違いなく、2人は自他共に認める最高のコンビとなった。この関係性と、2012年に佐藤が、2015年には青山が、JリーグMVPを獲得したことは無縁ではない。

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名前椎葉 洋平
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