Jリーグ 横浜FC

三浦知良、魂が燃えたぎる限り

三浦知良 写真提供:Gettyimages

これを読んでいるあなたが高卒もしくは大卒で、プロサッカー選手という夢を叶えたとする。その過程には、非常に多くの努力と競争があった。そしてプロとして迎える、初練習。緊張したあなたが早めに練習場に着くと、そこには自分の父親より年上の選手が。その選手はもちろん他の選手と同じ練習をこなし、練習の前後には誰よりも時間をかけて身体のケアを行っている。食事の管理も徹底していると、他の選手から聞いた。

気になって見ていると、それらを本当に毎日毎日行っている。試合に出場することはなかなかできていない中でも。怠ることは、決してない。その姿を身近に見続けた時、あなたはどう思うだろうか。きっと、自分自身が努力を重ねてきたのであればあるほど、凄まじさを感じる。そして大きな刺激を受けるのではないだろうか。

明治安田生命J1リーグの横浜FCに所属する「キングカズ」こと三浦知良(以下、カズ)は、2022シーズン以降も現役を続行する意欲を見せている。


三浦知良 写真提供:Gettyimages

衰えぬ意欲

10月4日にNNN(日本テレビ系)の取材に応じたカズは「シーズン残り7試合、全力を尽くして1試合でも多くピッチに立つこと、そしてゴールを目指したい」さらに来季以降に関して「僕自身ずっと続ける気持ちでいますし、受け入れてくれるクラブがある限りピッチに立ち続けたい」とコメントしている。

希望通りに現役を続けるとなれば、現在54歳のカズはプロサッカー選手として55歳を迎えることとなる。

2021シーズンはJ1リーグの第3節浦和レッズ戦に途中出場。だがそれ以降はベンチ入りこそあれど、出場機会は訪れず。ここまで、浦和戦のみ、わずか1分間の出場に留まっている。カズ本人も現状に満足していないことは前述のコメントからは明らかで、日々の鍛錬を積み重ねて現状の打破を目指すはずだ。


三浦知良(1995)写真提供:Gettyimages

Jリーグ誕生以前ブラジルから

日本初のプロサッカーリーグ、Jリーグが誕生したのは1993年。日本が初めてFIFAワールドカップ本大会に出場したのは1998年。中学生のカズがブラジルでプロになると決め、進路志望を書く紙に「ブラジル」と書いたのはそれらより遥かに以前。1981年のことだった。

その後一度は静岡学園高校に進学するも、中退したカズ。周りの反対を押し切り1982年、単身ブラジルへ渡った。その頃の日本は、FIFAワールドカップ本大会出場など夢のまた夢のサッカー弱小国。当時のブラジルでサッカーをしていて「日本人みたいだな」と言われることは明確な悪口だった。

そんな中、カズはサンパウロ市内のジュベントス、U-17チームに所属する。だが言葉も話せず、夜は大部屋の二段ベッドでダニに噛まれる日々。夢を諦めて、帰国しようと考えた時もあった。

それらを乗り越えて名門サントスでプロになったが、出場機会をなかなか掴めず。移籍を繰り返しながら出場を重ね、評価を高めたカズが選んだ移籍先は、サントスだった。プロ契約まで至りながらも活躍できなかったクラブで、今度こそ自分の力を証明するために。見事にサントスでレギュラーの座を掴むと、日本人への評価が厳しい国でサッカー専門誌の表紙を飾った。

Jリーグ発足が現実的になった、1990年に日本へと凱旋したカズ。翌年のJリーグ開幕に向け、プレ大会としてJリーグカップが行われた1992年には日本年間最優秀選手賞を受賞した。さらにJリーグ元年の1993年には、記念すべき初代MVPを受賞。表彰式となるJリーグアウォーズで、有名な真っ赤なスーツで登場したシーンはあまりに有名だ。

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名前椎葉 洋平
趣味:サッカー観戦、読書、音楽鑑賞
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