Jリーグ

タイトルを争うガンバ大阪時代の葛藤、大舞台の裏側。寺田紳一インタビュー【前編】

寺田紳一 写真提供:おこしやす京都AC

ガンバ大阪の下部組織出身の技巧派MF寺田紳一選手に独占インタビュー。

2004年にトップチームへ昇格しプロサッカー選手としてのキャリアを歩み始めた寺田は、J1デビューを果たしたG大阪を経て、J2時代の横浜FCと栃木SCでプレー。Jリーグ通算311試合(J1:71試合、J2:240試合)に出場し、現在は関西1部リーグのおこしやす京都ACでプレーしている。(取材・文:新垣 博之)


寺田紳一(右)二川孝広(左)G大阪時代共にプレー(本人Instagramより)

本田圭佑、東口順昭、家長昭博ら有するジュニアユース時代

寺田はG大阪の本拠地がある茨木市出身の“地元っ子”。中学年代に相当するジュニアユース時代にはキャプテンも務めた。

当時のチームメイトには同期に丹羽大輝(セスタオ・リベル・クルブ/スペイン)、1つ下にはMF家長昭博(川崎フロンターレ)MF本田圭佑(ネフチ・バク―/アゼルバイジャン)GK東口順昭(G大阪)、2つ下にDF安田理大(ジェフユナイテッド千葉)など、日本代表に招集されるような個性的“過ぎる”錚々たるメンバーが揃っていた。

「みんなサッカーに対して真面目だったので大変な感じはしなかったですよ。

(本田圭佑選手は?)僕は“チン”って呼ばれていて、彼は“ゴリ”って呼ばれていたんです。当時の彼はAチームには上がっていなかったのですが、『ゴリ』って呼ぶと『チンくん、チンくん』って、先輩にくっついて来る可愛らしい後輩でした。上手い先輩にくっついて学ぼうとしていたような節は当時からありました。

(東口順昭選手は?)ヒガシは『GKできるんかな?』って心配になるぐらい身長が低くくて。実際に試合になると相手チームからも『GK小さいから遠くからでもシュート撃ったら入る』っていう声も聞こえてくるほどでした。実は彼は大学生の時にもガンバに練習生で来ていたのですが、僕が冗談でその時のことを言うと『チンくん、それマジでやめてください』と、本気で過去を消したがっていました(笑)。

現在のゴリとヒガシの姿は当時から考えたら全く想像できなかったですね。

(家長昭博選手は?)アキはジュニアユースに入って来た時から凄かったですよ。入った時から現在まで、変わらずに凄いイメージのままで活躍し続けているのは彼だけです。

(同期の丹羽大輝選手は?)アイツは凄ないんですよ、普通なんですよ(笑)。でも、先日スペイン移籍の知らせを聞いた時に初めて『凄い』と思いました。頑張って欲しいですね」

オンライン取材中の寺田紳一 撮影:筆者

J1タイトル争いの中で成長。優勝を決定づけるゴールをアシスト

2004年にトップチーム昇格を勝ち取った寺田がプロとして最初のインパクトを見せつけたのは、クラブ史上初タイトルが懸かる2005年のJ1リーグ最終節敵地での川崎フロンターレ戦だった。

G大阪は最終盤に入って3連敗。攻撃陣に負傷者と累積警告による出場停止が相次ぎ、寺田は1週間前の第33節ジェフ千葉戦でJ1初先発の大抜擢となる。豊かな攻撃センスを発揮した彼は、この大舞台でも2-2という同点で迎えた66分からピッチに立った。そして、3-2とリードして迎えた試合終了間際、優勝を決定づけるゴールをアシストした。

「あの時はガンバが1点リードを奪ってからフェルナンジーニョが退場して、ガンバが1人少ない状況でした。試合終了間際にコーナーフラッグ付近からのFKで、相手も味方も『どう考えても、ここはボールキープだろう』という場面でしたね。

そこで一緒にFKをリスタートする松波さん(※)に『相手は油断してると思うんで、僕がゴールを狙いに行きます。パスを出してください』と、お願いしました。それが本当に思い描いたように上手くいって、アラウージョにアシストできました。

でも、まさかあの時、パスを出した松波さんがゴール前に入って来ていたとは思いませんでした。松波さんには最近会った時にもあの場面のことを言われました。『すいません、全然見えていませんでした』と毎回謝っているのですが、もし松波さんが見えていてもアラウージョにパスを出していたと思いますね(笑)」

※ 松波正信氏:G大阪一筋でプレーし2005年限りでの引退を発表。同試合が現役最後のリーグ戦出場だった“ミスターガンバ”。現G大阪暫定監督、強化アカデミー部長。

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