
日本代表は、まもなく開幕するFIFAワールドカップ(W杯)北中米大会に、8大会連続8回目の出場を決め、着実に国際的な存在感を高めてきた。今回は森保ジャパンの集大成として、「優勝」を明確な目標に掲げる大会となる。
しかし過去には、選手選考に至るプロセスでJリーグや海外クラブで活躍し、代表でも実績を残しながら、W杯本大会のピッチに立つ機会に恵まれなかった選手たちがいる。ここでは、そうした「W杯に縁がなかった」不運な名選手5人を紹介する。
選出の基準は、Jリーグでの得点王などの個人成績、代表でのゴール数、海外リーグでの活躍など、十分な能力と実績を有しながら、本大会メンバー入りを逃した点とする。各選手のキャリア、W杯前の出来事、背景を整理し、なぜ本大会出場が叶わなかったのかを解説したい。これにより、日本サッカーの歴史のもう一つの側面を振り返る。

三浦知良
Aマッチ89試合55得点のレジェンドが1998年フランス大会直前の落選
59歳にして、未だにJリーグのピッチに立ち続けるカズことFW三浦知良(現J3福島ユナイテッド)。間違いなく日本サッカー界のレジェンドだ。1998年フランスW杯で日本が初出場を果たした際、最終メンバーから外れたことは今でもそしてこれからも語り継がれる”サプライズ”だった。
大会直前、スイス・ニヨンでの合宿中、当時の岡田武史監督がテレビクルーの前で「外れるのはカズ、三浦カズ」と発表したシーンは、以降の7大会のメンバー発表直前になると、繰り返しテレビで流されていることで、若いサッカーファンも、日本サッカー史上最大級の衝撃ニュースとして知っているだろう。岡田監督は「3試合を想定した時にポジション的に使う場面がない」と説明したとされ、カズ自身も、2025年1月、日本テレビ系『しゃべくり007』出演時、当時の出来事を振り返った。
カズは長年にわたり日本代表のエースとして活躍し、国際Aマッチ89試合55得点を記録。1992年にはJリーグヤマザキナビスコカップで、1996年にはJリーグで得点王を獲得した。1994/95シーズンにはアジア人で初めてイタリア・セリエAに挑戦するなど、圧倒的な得点力を誇っていた。
しかし、1997年のアジア最終予選で不振に陥り、FW城彰二の台頭、加茂周監督の解任、後を継いだ岡田監督の「運動量重視の全員守備」という戦術の方針も逆風となった。一部メディアは、カズが岡田監督に対し「岡ちゃん」呼ばわりしたことへの”報復”であると書き立てたが、その後、この噂は両者から明確に否定され、現在も良好な関係が続いている。
佐藤寿人
Jリーグ歴代最多得点のストライカーも3大会連続落選
FW佐藤寿人はJリーグの歴史に残る名ストライカーだ。ジェフユナイテッド市原を皮切りに、セレッソ大阪、ベガルタ仙台、サンフレッチェ広島、名古屋グランパスで活躍し、J1得点王(2012年)、J2得点王(2008年)、FIFAクラブW杯得点王(2012年)を獲得するなど、他を圧倒する得点力を誇った。2011年にはクロアチアの名門、ディナモ・ザグレブからオファーを受けたことも引退後に明かしている。もし欧州移籍が実現していれば…とも思ってしまうが、W杯メンバーには一度も選出されなかった。
代表での成績は国際Aマッチ31試合4得点。2001年のU-20W杯アルゼンチン大会に出場したが、A代表では2006年ドイツ大会、2010年南アフリカ大会、2014年ブラジル大会のいずれも本大会メンバー入りを逃した。2006年は広島の低迷により最終選考で外れ、2010年はリーグでの活躍にもかかわらず、FW岡崎慎司、FW大久保嘉人、MF本田圭佑ら海外組の壁を破ることが出来ず、2014年はアルベルト・ザッケローニ監督の戦術との兼ね合いが指摘された。
引退後は解説者として、恩師でもある森保監督の戦術について分かりやすく紐解いている。出場時間換算での高い得点率は、W杯に出ていれば…と思わせる可能性を感じさせる選手だった。
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