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川崎Fスクールコーチ狩野健太氏インタビュー【前編】Jリーガー現役時代を振り返る

写真:Kenta Kano (official) Twitterより

柏から川崎へ。J1初優勝も経験

―2013年に柏レイソルに完全移籍されますが、適応するのに苦労しましたか?

「移籍後サッカーの部分に関してはネルシーニョ(・バプティスタ)監督やレベルの高い選手と一緒にできて楽しかったです。生活面では同じ関東ではありますが、横浜と柏では街並みも全然違うので『これが移籍なのか』と感じるところはありました」

―柏で仲の良かった選手などは?

「昨年引退した増島達也君には良くしてもらいましたし、田中順也は1個下で年も近く、仲良くしてました。外国人選手もレアンドロ・ドミンゲスなどがいて、レベルが高くて楽しかったですね」

写真:Kenta Kano (official) Instagramより

―2016年の川崎フロンターレ移籍時はどうでしたか?

「私が川崎に加入した時は、風間(八宏)監督が就任5年目で、監督のやりたいサッカーができあがっている状態でした。独特なスタイルに慣れる必要があり、監督には『パスを受ける時に前を向け』だったり、技術的なことをとても要求されました。苦労した部分もありましたが、更に上手くなることができましたね。川崎にもいい選手がそろっていて、大久保嘉人選手や中村憲剛氏など、色んな選手と一緒にできて良かったと思っています」

―2017年には川崎がJ1初優勝。狩野氏にとってもリーグ戦初優勝だったわけですが、その時の心境は?

「自分は最後怪我で試合に出場できませんでしたが、出ている出ていないに関係なく一緒にサッカーできて良かったですし、何よりもクラブとしてシルバーメダルコレクターと言われてた中で『地域密着』でずっとブレずにやったのが実って嬉しかったです」

―優勝後にファン・サポーターの反応など変化はありましたか?

「ずっと地域密着でやってきたので、色んな人達に『優勝できてよかったね』といった声をかけてもらって、改めて優勝できて本当に良かったと感じました」


写真:Kenta Kano (official) Instagramより

現役引退決断の決め手となったのは…

2018年4月に川崎から徳島ヴォルティスに移籍した狩野氏。初のJ2で関東圏外への移籍となることに抵抗はなかっただろうか。

「J2は初めてだったので、適応するのに苦労しました。J2は若い選手が多く、ステップアップのために経験を積む場ととらえている選手が多いことも違います。サッカーに関しても求められることが違ったので大変でしたね。移動も長くて大変でしたが、1つ1つが新鮮で楽しかったです」

―関東圏時と比べてオフの過ごし方に変化などは?

「遊びに行く機会は減りましたが、徳島は子育てをするのに適していて子どもがいたのでよく公園に連れて行っていました。また、当時は若い選手が多く、オフの過ごし方が上手くない選手もいて監督の方針で連休がありませんでした。そのあたりも変わりました」

引退セレモニー 写真:Kenta Kano (official) Instagramより

徳島で2年弱プレーした後、契約満了で退団。2020年に無所属の期間を経てついに同年夏に引退を発表する。

―どのような経緯で引退の決断に至ったのですか?

「徳島退団発表後も、2019年に発症したグロインペイン(そけい部痛症候群)のリハビリをしていて練習に参加することができませんでした。その中で新型コロナウイルスでリーグがストップし、日程が厳しくなるためチャンスはあるかと思っていました。

ただ、予想以上にコロナの打撃が大きくクラブの経営状況も厳しい状態になり、自分の年齢なども含め色んなことを考えました。サッカー以外の道も考えましたが、もともと指導者に興味があって自分の経験を還元したいと思っていたため、現役を引退してサッカースクールの開校を決めました」

ここから突入する狩野氏のセカンドキャリア。指導者としてのみならず、ファッションブランドも運営するなど色とりどりな選択と挑戦が続く。【後編】でお楽しみください

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名前:TK
趣味:サッカー観戦
好きなチーム:浦和レッズ、東京ヴェルディ、川崎フロンターレ、大宮アルディージャ、南葛SC
サッカースクールを運営しながら、複数のサッカー、スポーツ媒体でライターを経験。国内サッカー全般(4種から1種まで)幅広く観戦しています。

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