セリエA ラツィオ

現代FWの先駆者ボクシッチ。自身の創造性を犠牲にして仲間を引き立てる天才

 私は常に特定のタイプのサッカー選手に興味をそそられてきた。それは、彼らの仕事説明を結果論として扱うような選手だ。例えば、守備をしていないように見えて、はるかに深いところで守備をしているディフェンダー。または、それほどクリエイティブなプレーをしていないように見える、創造的なミッドフィールダーなどだ。だからこそ、ゴールを多く決めなかった、アレン・ボクシッチに魅了されたのだ。ボクシッチは、スピード、テクニック、パワー、冷酷さなど、センターフォワードに求められる、考えうるすべての能力を持っていた。しかし彼のキャリアを振り返ってみると、3試合に1点以下のペースでしか得点していない。何が起きていたのだろうか?ボクシッチを擁護すれば、彼がプレーした時代のセリエAでは、強固な守備が全盛を誇っていたことがあげられる。しかし彼は、毎週得点を決めていたガブリエル・バティストゥータやベッペ・シニョーリと、同時代の選手だ。ボクシッチの相対的な失敗は、彼らによってより目立っていた。

 しかし、バティストゥータとシニョーリが“免罪符”的存在であったことに気が付くだろう。彼らは強烈なミドルシュートを持っていた。全てを兼ね備えていたボクシッチも、この能力だけは持っていなかったのだ。その代わりに、彼は他の普通の人間たちと同じような方法で、セリエAのディフェンスを攻略しなければいけなかった。それは言ってみれば、鎖かたびらを素手で引き裂こうとするくらい難しい。彼はこれを、ワイドポジショニングから実行しなければいけなかった。彼がラツィオでプレーした最初の時期は、シニョーリが活躍した時期と重なっていた。そのため、頻繁にサイドを任されることが多かった。サイドの選手としては能力が高すぎたのだが。

 ボクシッチを観ることは、ストライカーだけでなく、フォワードとは何なのかを理解し始めるキッカケのひとつを私に与えてくれた。バランスを見つけるのは難しい。当時、ウィンガーの選手には得点を決めることが、それほど求められていなかったし、ストライカーにはクリエイティブな仕事が求められていなかった。だからこそボクシッチは興味深い“ハイブリッド”な選手なのだ。その意味で十分意図的に、ボクシッチは彼の母国のスーパースターである、ズボニミール・ボバンを思い出させる。ボバンは典型的な10番でも、典型的なセントラルミッドフィールダーでもなかった。前者とするには創造性が十分ではなかったし、後者とするにはタックルが少なかった。しかしボバンは、1994年のチャンピオンズリーグを勝ち取ったミランにおいて、重要な選手であった。それはボクシッチがユベントスとラツィオで、通算3度のスクデットを獲得したチームにおいて、重要な存在だったことと共通している。

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