ワールドカップ

サッカーはまだグローバルになりきれない?W杯に際して思うこと

ベス・ミード(左)久保建英(右)写真:Getty Images

11月20日(日本時間21日)から、2022FIFAワールドカップカタール大会(カタールW杯)が開幕となる。現代を生きる多くの人々にとっては、生まれた時からW杯の存在が既にあったのではないだろうか。1930年に始まり第22回目となるW杯。日本は1998年のフランス大会時に初出場を果たして7回目の出場となる。

我々に非常に馴染み深いサッカーイベントではあるW杯だが、単に優勝国を決定するだけでなく、開催の度にはいくつかの課題を知ることができる。W杯に際して、改めてサッカーはどこに向かっているか考えてみる。あなたはどう考えるだろうか?


2002日韓W杯に出場した 元日本代表 MF中田英寿 写真:Getty Images

サッカーはまだグローバルになりきれない

労働者階級の人々が動物の膀胱を膨らませ、それを足で蹴って身体を動かし健康を維持するという起源から、サッカーは現在の世界規模のスポーツとなった。数百年という時を刻み、1904年フランスのパリで国際サッカー連盟(FIFA)が創設され、ナショナルチームによるサッカーの世界選手権大会、W杯というイベントが完成。この存在により、サッカーはグローバル化を果たしたという意見が存在する。

日本としては、2002年に韓国と共同開催した日韓W杯で「グローバル化」という言葉の意味を世界に主張した。これは前例の無いことであり、ヨーロッパとアメリカ以外で開催された初めてのW杯となった。そして2022年になった今、中東で初めて開催されるW杯を迎えようとしている。大会を開催することを含め、サッカーが国と国を結び、まるで世界共通の言語として存在し、その規模を広げていると言えるだろう。

しかしながら、実際には世界各国のサッカーに対する制限や規則は未だ異なる。ブラジル、アフリカではジェンダー問題、またいくつかの途上国ではインフラ設備問題、社会情勢問題などが理由で、現在も未だ自由にプレーができない国々も存在する。それらの存在を無視しては、まだグローバル化を果たせたとは言えないのではないだろうか。

では全ての国のサッカーを愛する人々が、さらに自由にサッカーを楽しめる環境になることは可能なのだろうか?

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名前:Molly Chiba
趣味:自然散策、英国のあれやこれやをひたすら考えること
好きなチーム:トッテナム・ホットスパーFC

東北地方の田園に囲まれ育ちました。英国のフットボール文化や歴史、そして羊飼いやウールなどのファッション産業などに取り憑き、没入している日本人女性です。仕事のモットーは、伝統文化を次世代に繋ぐこと。

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