Jリーグ 清水エスパルス

清水エスパルスの歴代外国籍助っ人選手5選

シジマール(左)ドウグラス(右)写真:Getty Images

“サッカー王国”と呼ばれる静岡を本拠地とする清水エスパルス(J1)。Jリーグ発足当初加盟の10クラブ「オリジナル10」の1つでもある。当時清水は唯一母体となる実業団がないクラブでありながら初年度(1993)から優勝争いを繰り広げるなど、黎明期のJリーグの盛り上がりに大いに貢献した。

しかし2016年にはJ2降格も経験し、近年はタイトルはおろか残留争いに巻き込まれる下位が定位置となっている清水。今2022シーズンも、ここまで22試合を戦い17位と低迷中だ。残りのシーズンでの浮上に向けては、今夏の移籍による戦力アップは必須で、すでにFW北川航也、MFヤーゴ・ピカチュウ、MF乾貴士と、実績のある選手たちの加入を発表している。

その中、特に名前も相まって注目が集まっているのが、ブラジル1部のフォルタレーザECから獲得したピカチュウだ。その名はお馴染みのアニメシリーズ『ポケットモンスター』のキャラクターに由来する。ここでは、実力も確かと期待されるピカチュウのJリーグ初挑戦の活躍も祈念して、これまで清水に所属してきた外国籍選手の中でも、特にクラブに貢献してきた5選手を振り返ってみよう。


GKシジマール 写真:Getty Images

シジマール(ブラジル)

清水エスパルス在籍期間:1993~1994、1995

1993年のJリーグ黎明期。当初選手ではなくコーチとして来日したが、現役復帰し清水のGKとして活躍したシジマール。身長183センチに対して、両腕を広げた長さが193センチもあることから「クモ男」の愛称で親しまれた。長い手を生かした守備力の高さには定評があり、2021年に名古屋グランパスのGKミチェル・ランゲラクに破られるまで、731分間連続無失点のJ1記録を保持していた。

記録だけでなく、1993年8月28日ヴェルディ川崎戦での2連続PKストップ(PK戦でヴェルディ5人目のキックを止めるも主審にやり直しを命じられさらに止めた)や、1995年4月26日浦和レッズ戦後の土下座事件(3-2で清水勝利後のシジマールの行為が浦和サポーターに侮辱と映って騒動になり土下座で謝罪)など、記憶にも残る選手だった。

引退後は他クラブのGKコーチも務め、現在でもJリーグを代表するGK菅野孝憲(北海道コンサドーレ札幌)や南雄太(大宮アルディージャ)らの指導にも当たっている。


バロン(ブラジル)

清水エスパルス在籍期間:2001~2002

清水以外にもヴァンフォーレ甲府(1996、1998、2004)やセレッソ大阪(2003)など、実に8つのJクラブを渡り歩いたFWバロン。日本での得点は、甲府のJFL所属時も含めると100を超え、その得点能力の高さは折り紙付きだった。

当時の清水には、両サイドに高精度のクロスや突破が武器のMF三都主アレサンドロや市川大祐が在席。また、セットプレーキッカーとしても名手のMF澤登正朗がいたこともあり、186センチと長身のバロンがターゲットとしていることは他クラブの脅威でもあった。

2001-2002年の第81回天皇杯では、準決勝で勝利を決定づける2点目を、決勝でも延長戦でVゴールとなる得点を上げ、清水の初優勝の立役者になった。重要な試合で頼れる選手として、今なお清水サポーターに語り継がれる。


チョ・ジェジン(韓国)

清水エスパルス在籍期間:2004~2007

185センチの長身を生かしたプレーはもちろん、足元も高い技術を誇るFWチョ・ジェジン。韓国でも各世代別代表を経てフル代表にも選出されるなど、評価の高い選手だ。

清水に所属していた2004年から2007年までで、リーグ戦では累計45得点と攻撃の軸として活躍。世代交代の只中ではあったが、MF藤本淳吾ら若手の台頭もあり、チームの上位進出に大きく貢献した。残念ながら在籍中のタイトル獲得はなかったが、リーグ戦の上位定着とカップ戦の好成績を生み出した原動力であったことは間違いない。

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名前Sくん
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