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元清水ヨン・ア・ピンがJリーグ移籍の過程告白「3回断ったが…」幻の母国復帰計画も明かす

カルフィン・ヨン・ア・ピン 写真:Getty Images

 かつて清水エスパルス、FC町田ゼルビア、横浜FC、FC岐阜に在籍したカルフィン・ヨン・ア・ピン氏(35)がJリーグ移籍の背景や日本で抱えた問題について語った。20日、オランダメディア『NOS』が伝えている。

 ヨン・ア・ピンはフォレンダム、ヘーレンフェーン、フィテッセをへて、2011年に清水エスパルスへ完全移籍。清水エスパルスで5シーズン在籍した後、2016年は町田ゼルビア(現在FC町田ゼルビア)でプレー。そして2017年からは横浜FCで主力として活躍し、2019シーズンにはクラブのJ1昇格に貢献していた。

 ただ、2020シーズンにJ1リーグで5試合の出場にとどまると、昨季途中に退団。昨年10月にFC岐阜へ加入したもののJ3リーグでわずか1試合の出場に終わり、シーズン終了後に退団。今年3月7日にインスタグラムアカウントで現役引退を表明していた。

 『NOS』はヨン・ア・ピンが清水エスパルス移籍に至るまでの過程について「2011年に清水エスパルスから代理人を通じてオファーが届いたとき、ヨン・ア・ピンは何の疑いも持たなかった。彼は3回にわたって日本行きに興味がないことを伝えていた」

 「しかし彼は(清水エスパルスの提示した)年俸額を見て、すぐに考えを改めた。とにかく早くお金を稼いでヨーロッパに帰ろうという単純な計画のもと、冒険を始めたのだ」と紹介している。

 また、ヨン・ア・ピン本人は母国メディアの取材に対して「(清水エスパルス移籍の時)良い話は聞いていたんだ。すごい選手がいるクラブであり、海辺に近いところにホームタウンがあるとね。でも実際に行ってみると、田舎のど真ん中にあると分かったんだ」と静岡市に対して自身の想像と実際の街並みにギャップがあったことを明かしている。

 つづけて「あの時は若かったし、何でも知っているつもりだった。僕は自分自身を守らなければならない環境からやって来たんだけど、(オランダの概念が)日本では通用しなかった。最初の数年間は、2回ほど精神的に参ってしまったんだ」と告白。

 『NOS』は「誰も英語を話せず、どこでもインターネットに接続できるわけでもない時代、本国に連絡をとることが難しいこともあった。毎日、同じイタリアンレストランで一人で食事をしていた」とヨン・ア・ピンが日本の環境に慣れなかったことを紹介している。

 さらにヨン・ア・ピンは清水エスパルスから残留要請を受けた時の出来事を聞かれると「清水エスパルスは僕を引き留めようとしたんだけど、僕はどうしても出て行きたかった。だけどクラブが『断れないオファー』を提示してきた。結局、僕は残ることにしたんだ」とコメント。好条件のオファーを受けたことによる母国復帰断念を明かした。