元イタリア代表のレジェンドGKジャンルイジ・ブッフォン(43)が、長年歩んできたユベントスを退団しパルマへの移籍を決断した。今月17日にパルマはブッフォンの獲得を正式に発表。実に20年ぶりのパルマ復帰となる。
ブッフォンが17歳でパルマにてプロデビューを果たし名を挙げてからというもの、そこからの旅路は誰もが記憶していることだろう。途中パリ・サンジェルマンに所属(2018-2019)したこともあったが、実に19シーズンを過ごしたユベントス(2001-)では10回のスクデット(セリエA優勝)獲得などタイトル獲得に大きく貢献してきた。
長年ヨーロッパの最前線で活躍し続けた後、自らが育ったクラブへ帰還するシナリオはどの選手たちも夢見るに違いない。ここでは今回のブッフォンのように「長年ヨーロッパの最前線で活躍し古巣に帰還したレジェンド」を2人ご紹介したい。
ロビン・ファン・ペルシ
オランダで、SBVエクセルシオールのユースからフェイエノールトユースへ渡り、2002年にトップチームデビューを果たしたFWロビン・ファン・ペルシ。左サイドからの攻撃を恣にしており、その実力が認められ2004年にイングランドの名門アーセナルへ移籍を果たした。
イングランドに渡って以降、怪我と向き合う時間が多かったが、それでも出場する試合では多くのゴールをチームにもたらした。ゴール前でのアクロバティックさにおいて右に出る者はいないと考える。巧みなボール回しで魅了したアーセナルにおいて重要な役割を担った。
その後アーセナルとの契約を終了し、2012年8月にマンチェスター・ユナイテッドへ移籍。アレックス・ファーガソンが監督を勇退することが発表された2012/13シーズンには、ウェイン・ルーニーや香川真司らと共に前線で躍動しリーグ制覇に貢献した。もちろんゴールデンブーツ(得点王)も獲得した。
2015年にマンチェスター・ユナイテッドを後にしてフェネルバフチェ(トルコ)を経てから、2018年に古巣であるフェイエノールトと契約することを発表。14年ぶりとなる帰還に地元ファンは大いに湧いた。貫禄あるプレーで存在感を示し、そのシーズンのKNVBベーカー決勝では貴重な追加点を決めチームを優勝へと導いた。その後2018/19シーズンをもって現役引退を決断することになる。
なお2021/22シーズンからファン・ペルシは、フェイエノールトのU-16チームのアシスタントコーチに就任することが発表された。今度は「育成する立場」でクラブに恩返ししようとしている。
アンドリー・シェフチェンコ
幼い頃からディナモ・キエフ(ウクライナ)の下部組織に入団し、1994年にトップチームでの出場を果たしたFWアンドリー・シェフチェンコ。ディナモ・キエフで攻撃のタクトを振り、ウクライナ・プレミアリーグ5連覇に貢献。国内リーグに留まらず、UEFAチャンピオンズリーグでも大車輪の活躍を見せ、1998/99シーズンにはディナモ・キエフをベスト4にまで導いた。ゴール前でのテクニックとゴールの嗅覚が優れており、ストライカーが目指す理想像として模範にされていた。
1999/00シーズンにはイタリア、ミランへの移籍を果たし、移籍初年度から24ゴールを叩き出してセリエAの得点王に輝く。個人タイトルだけでなく、2002/03にはUEFAチャンピオンズリーグとコッパ・イタリアのタイトルを獲得し、2003/04シーズンにはチームのスクデット獲得に貢献した。ミランでのシェフチェンコの貢献度は非常に大きく、2004年にはバロンドールを受賞。名実ともにウクライナの英雄として一時代を築いた。
2006年からはチェルシーへの移籍を決断したがプレミアリーグの水には馴染めず、かつてミランにいた頃のシェフチェンコを目撃することはできなかった。低迷する中で期限付き移籍によるミラン復帰が実現したが、それでもパフォーマンスが向上することはなかった。
そして2009年、10年ぶりとなるディナモ・キエフへの復帰が発表され、現役引退まで古巣でのキャリアを過ごしたシェフチェンコ。現役引退後は政治家やプロゴルファーへの道を志すもあえなく失敗に終わるが、現在は代表監督としてウクライナを率いている。現在開催中のユーロ2020(UEFA欧州選手権)では延長線の末スウェーデンを退け、初のベスト8進出を決めた。シェフチェンコは監督としても「ウクライナの英雄」になろうとしている。
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