【Fリーグ】急遽メンバー入りしGKイゴールからFリーグ初得点の北海道FP内田洸介「僕の仕事はフットサル選手」

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[9.9 F113節 北海道 1-3 町田 丸善 658]
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日の深夜に北海道を襲った大地震は、多くの人の生活を変えた。エスポラーダ北海道のFP内田洸介、自宅が震度6弱の地震にあい、停電したという。彼はフットサル選手としてプレーしながら、同時にチームのスポンサーでもある病院で働くことで生計を立てている。

当初、大阪セントラルの遠征メンバーに入っていなかった内田だが、地震によって主力選手が遠征を辞退。その中で遠征メンバー入りのチャンスが巡ってきた。

地震が起きて、職場は可能な限り多くの人手が欲しい大変なとき。それでも彼は「僕の仕事はフットサル選手」と、大阪遠征に行くことを選択した。

フットサル選手として北海道のチームを勝たせ、被害に苦しむ人たちに、勇気や希望を届けたい。内田をはじめ、北海道の選手たちは、誰もがそういう強い意識を持って大阪セントラルに来ていた。その想いが実ったのが、ペスカドーラ町田戦の前半12分、内田がGKイゴールを破って決めたミドルシュートだった。

以下、町田戦後の北海道FP内田洸介選手のコメント
――初ゴールまで、長かったですね。
内田 長かったですね。

――同じ世代で、同じ北海道出身ではFP伊藤圭汰選手が日本代表候補に選ばれ、高校の同級生でもあるGK坂桂輔選手もF選抜で活躍しています。内田選手は、ようやく初ゴールを挙げることができました。ここまでの道のりを振り返ってもらえますか?
内田 高校時代もそうですが、自分は苦労するタイプなのかなと思っていました。やっぱりFリーグ選抜ができて、日本代表候補に入った選手もいて、(清水)和也とかは、スペインにも行っている中で、同世代に置いて行かれているなという感じはしていました。その中で今日、ゴールを決められたので一歩前進したかなと思いますが、まだまだ先は長いので、もっともっと点を取れるように、結果を出していきたいなと思います。

――先ほど小野寺隆彦監督は「ピヴォ以外のポジションでプレーすることもあった」と話していました。ルーキーイヤーには開幕戦に出場しましたし、この年代をリードしていくのかなと思ったのですが、そこから苦しみましたね。
内田 ピヴォではなく、フィクソをやっていました。フィクソをやるときは相手のピヴォがイヤなことを、ピヴォをやるときは相手のフィクソがイヤなことを学びながらやっていました。うちには水上(玄太)さんっていう、すごいピヴォがいるので、ピヴォのことも聞きながらやってきました。

――フィクソをやりながらもピヴォの動きを学んでいたんですね。
内田 はい。プレーの幅も広がったと思いますし、金井コーチにも特徴は「シュートが武器だろうから」と言われていたので、遠い距離からのシュートとか、腐るくらい練習はしていました。だから今日の形は練習通りだったかなと思います。

――昨日の試合では、すごく背中をうまく使えていました。ただ、反転してシュートとか、シュートに行く形が見られなかったので、もう少し時間がかかるのかなと思ったのですが、突然、今日はシュートを多く打っています。一晩で何があったのでしょうか?
内田 それは今回の遠征、僕は最初、メンバー外だったんです。ただ地震があって、玄太さん、(鈴木)裕太郎さんが来られなくなって、僕が急遽メンバーに入ったんです。『そうなったら自分がピヴォかな?』とは考えていたんです。

――ということは、練習ではフィクソだったんですか?
内田 そうです。フィクソでした。ピヴォの練習なんて全然していなかったし、昨日の試合のときは移動日を含めて3日間、練習もできていない状態だったので。その中での試合だったので、感覚をつかみながらだったんです。

――なるほど。レベルアップしたというより、感覚を戻せたということですね。2人が来れなくなるような、地震が北海道で起きました。メンバー入りしたことで、何か意識するようなこともあったのではありませんか?
内田 僕は今、スポンサーであるアスカグループさんにお世話になっています。そこは医療関係の仕事で、病院なんです。地震があった日には僕も出勤して、ほかの方々も看護師さん、介護士さん、みんな出勤していたんです。地震があった直後、ほかの働いている人たちの姿を見ていたので、今回の大阪遠征に来ることも迷いました。でも、自分の本職はフットサル選手です。「僕らは勇気と希望を与えることが仕事だ」と思って、今回の2連戦に臨んでいました。

――絶対に結果を出さないといけないと思いながら、プレーしていたんですね。
内田 そうですね。ゴールという形で…一番は勝利だと思いますが、ゴールを挙げられたことで、少しは勇気を与えられたのではないかと思います。次は旭川でのホームゲームですが、父が旭川に行っていて、長い時間、停電になったと聞いています。そういう方々もたくさん来てくれると思うので、次はホームで結果を出したいと思います。

――それだけいろいろな思いを背負っていたんですね。ご自身の家はどうでしたか?
内田 僕は今、一人暮らしなんですけど、震度6弱でした。出勤するときも道路が歪んでいたりしました。地震があったのが深夜3時くらいで、その4時間後には出勤したんです。家が停電していたので、荷物をまとめて、停電していない友人の家に泊めてもらいました。そのときに「明日の遠征メンバーに入った」とチームから連絡がきたんです。クラブからは「家庭のこともあるから、辞退しても構わない」という話でしたが、僕はやっぱり行かないといけない身だと思ったんです。

――そこから病院に連絡したんですか?
内田 はい。その段階で連絡を入れて「遠征に行かせてほしい」とお願いしました。本当に職場の方々には感謝しかありません。

――戻ってからは、そちらでもしっかり助けないといけませんね。
内田 そうですね。まだ結構、厳しい状況だと思います。電気が復旧して、少しは良くなっているかなと思いますが。

――大阪にいる間も、SNSやテレビで情報を入れていたのですか?
内田 はい。昨日も、いろいろな情報やうわさが飛び交う中、僕も心配性なので、全然、寝れなかったことがあるんですよね。

――北海道は地震が起きて電気が止まったと聞きました。そうしたこともあり、情報は大阪にいる今の方が入っていますよね?
内田 間違いないですね、それは。

――こういう状況で遠征を戦い、ロベルト・カルロス選手と同じ日にFリーグ初ゴールを挙げて、今回の連戦を通して「フットサル選手」という自覚は強くなったのではありませんか?
内田 そうですね。あのゴールの前にも一本、ヴィニシウス選手にお手本のような反転ゴールを決められたんですよね。あのゴールがありましたし、初ゴールがイゴール選手からだったのもうれしいです。

――GKイゴール選手の体の動きの逆にシュートを通しましたが、あれは狙ったんですか?
内田 シュート自体は、『ここに打っておこう』と、コースは狙いました。

――イゴール選手の体重移動も見えていたんですか?
内田 とりあえず『ファーの下』という感覚でした。シュート練習をやめろと言われるくらい、シュートばかり練習はしていたので。

――今後、北海道に戻ってから練習はできそうなのですか?
内田 まだ分からないのですが、向こうに残っている選手に聞くと、徐々に日常を取り戻せていると言っていたので、しっかり練習して次に備えたいです。

――今回の遠征は若手中心となり、2連敗しました。とはいえ気持ちの入ったプレーも随所に見られましたし、チームで「できる部分もある」と感じられたのではないですか?
内田 今年の高卒組は、試合にコンスタントに出ていますからね。僕は3年間くすぶっていたのに…(苦笑)。本当に良い選手が多いので、負けないように、先輩らしく頑張りたいですね。

――ここからU-20フットサル日本代表に何人か入りそうですね。
内田 間違いないです。そこで頑張ってもらえれば。(坂)桂輔とか、(小幡)貴一もF選抜で頑張っているので。

――あとはFP松野史靖選手ですね。
内田 アイツは、去年、僕と2人で一緒にサテライトに落ちて、ずっと頑張っていた仲なんです。この前、名古屋戦で2人で出場して、僕は何試合目で、彼がFリーグデビューを果たして、2人でピッチに立てたのは、僕ら2人にはちょっとうれしいことでした。2人で声をかけあってやっていきたいです。同期だった桂輔と貴一はFリーグ選抜に行っちゃったんで()

――行こうというつもりはなかったんですか?
内田 僕が行くという話がそもそもなかったんですよね。行きたいなというのはあったんですけどね。でも、同世代のああいうチームが活躍して、Fリーグを盛り上げているのは、すごく自分にも刺激になっています。

――頼みますよ、元札幌大谷高校サッカー部のキャプテン! そういえば、今年の札幌大谷のキャプテンも良い選手でしたね。
内田 直接的なかかわりはないんですが、僕らが全国大会に2回出て、フットサルに出ているのも見て入ってきている世代なので、良い選手はたくさんいると思います。そこからフットサルに進んでくれる人は、何人いるかわかりませんけど。

――先輩の活躍は刺激になると思うので、頑張ってください。
内田 頑張ります。ありがとうございました。