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新時代の「サポーターとしての正しい立ち振る舞い」を考える

写真:Getty Images

2020年代に突如やってきたコロナショックにより、心なしか息のしづらい新たなストレス社会に変貌を遂げたように感じる。それはサッカー界においても当てはまり、特にサポーターの行動にはこれまでにも増してデリケートさが求められている。

明治安田生命Jリーグでも「Jリーグ新型コロナウイルス感染症対応ガイドライン」として、クラブ・選手・サポーターに厳格なルールが設定されてきた。例えば大声での発声、歌唱や声援、ハイタッチ等が禁じられた観戦ルールを巡っては、違反の境が度々議論されている。

ここでは改めて、新たな時代に即した「サポーターとしての正しい立ち振る舞い」とは一体何なのかを考えいきたい。


Jリーグ 写真:Getty Images

スポーツ観戦の魅力とは

本質から回顧しよう。スポーツに勝負はつきものだ。筋書きのないドラマであること改めて言いたい。スポーツに「絶対」など存在しない。勝つ時もあれば負ける時もある。そうした土俵の上で、勝利を追求する過程で見せる選手のテクニックや身体能力、その頑張りに感動し、見る者は時に言葉では表現出来ないようなエネルギーを得る。

これがスポーツを観戦することの1つの魅力であろう。何でも勝利ばかりに関心を向けられる風潮には、部分的には賛同するが、それまでのプロセスについても感じることができる魅力が大きいのではないか。そんな魅力に様々な人が注目し、熱狂的なサポーターも存在する。またその存在によって本来は、プレーヤー側も力を得る。


観戦の目的や方法は多様化

サッカー観戦の目的や方法は様々であり益々多様化している。12番目の選手としてゴール裏で戦いたい人もいれば、友人や恋人と仲良く試合を見たい人もいる。スタジアムという箱の雰囲気を楽しみたい、そんな人もいるだろう。スタジアムではなくパブでフィッシュ&チップスを片手に観るのが好きな人もいるし、テレビやオンライン観戦で好きな実況者とともに観るのが好きな人もいる。

いずれもれっきとした観戦であり、応援に該当する行為だ。しかし目に余るのは、意固地になって観戦方法を強要し合う一部のサポーターの存在である。サッカーへの関わり方は1つではなくなった今、それを多様性として受け入れる姿勢を忘れてはならないと私は考える。また多様性こそ、そのスポーツの広がりをも意味するだろう。

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名前:秕タクオ

国籍:日本
趣味:サッカー、UNO、100均巡り

サッカー観戦が日課のしがないサラリーマンです。かれこれ人生の半分以上はサッカー観戦に明け暮れ、週末にはキルケニー片手にプレミアリーグやJリーグにかじりついています。

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