平均引退年齢が26歳前後とも言われるJリーガー。引退後の安定した生活は保障されておらず苦労する選手も多くいる。これまでそんなJリーガー達の様々なセカンドキャリアに迫ってきた。
2019シーズン限りで徳島ヴォルテスを退団し、2020年夏、34歳にして現役引退を決断した元MF狩野健太氏の場合はどうだろうか。
現役時代は横浜F・マリノスや柏レイソルで活躍し、川崎フロンターレではJ1リーグ優勝も経験した狩野氏は、引退前から自身のファッションブランドを立ち上げるなどし、引退後は自身のサッカースクールを開校。今年1月には川崎のスクール・普及コーチ就任が発表された。
この【前編】では、現役時代のサッカーキャリアを振り返って伺う。
10クラブからオファー、横浜FMに入団
―サッカーはどういうきっかけで始められましたか?
「小学校1年生の時に友達がやっていたのもあり、地元のチームに入って遊びの延長で始めましたね」
―東海第一中学校では全国大会に出場し、名門の静岡学園高等学校に進学されました。その経緯は?
「静岡は藤枝東や清水東、清水商業など強豪校も多く、東海大翔洋高校に上がる選択肢もありました。その中で静岡学園に進学したのは同校のスタイルに憧れていたからです。とても魅力的なサッカーをしていたので進学しました」
―卒業後、横浜F・マリノスに入団されたのは何故ですか?
「オファーは10クラブから頂きました。その中でマリノスは僕が入団する前の年とその前の年で2連覇していたこともあって、強いクラブでプレーしたいと思って決めましたね」
「天才」と謳われていたプレースタイルで引く手は数多。当時から“自ら選択”する環境にいた。
プロになって感じた「スピードの差」
「プロの世界のレベルは高いと思ってはいましたが、衝撃的で、想像以上でした。当時のマリノスには久保竜彦氏、奥大介氏、アン・ジョンファン氏や中澤佑二氏など本当にレベルの高い選手が多く在籍していました。
プレースピードや判断のスピード、プレッシャーの速さなど、すべてにおいてスピードが違いそれに慣れるまで苦労しましたね。技術的にはある程度やれていたと思いますが、当時のマリノスはベースが『前から守備をちゃんとやる』ことだったのでそれに適応するのも大変でした」
―2008年までは出場が20試合以下にとどまる中、2009年には28試合、翌年も20試合に出場されていますが、どのような変化があったのでしょうか?
「プロである以上結果を出さないといけませんが、結果を出すために『自分の持ってるものをすべて出そう』という方向性にチェンジしました。高校時代やプロに入りたての頃は楽しむことや上手くなることにフォーカスしていましたが『プロとして結果を出すためにどうするか』という考えに変わったのが大きかったと思います」
そうして横浜には8年もの間在籍し、107試合出場9得点の「結果」を出す。
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