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“スリー・ライオンズ”の憂鬱。イングランド代表の主要大会PK戦敗退の歴史

「イングランドはPK戦に弱い」
PK戦は1976年のUEFAユーロから導入され、W杯ではその2年後の1978年大会から実施されるようになった。イングランドは1990年までPK戦を戦うことはなかったが、そこから多くの国際大会でPK戦による敗退を経験してきた。今回はそんなイングランドの“負”の歴史を紹介。

1990年イタリアW杯

ゲーリー・リネカーやポール・ガスコインを有し、サー・ボビー・ロブソンに率いられたチームは、グループステージを1位で通過。決勝トーナメント1回戦でベルギーに競り勝ち、準々決勝で大躍進したカメルーンを下した。準決勝で待ち受けていたのは優勝候補のローター・マテウス有する西ドイツ。1-1でPK戦にもつれ込んだ試合は4人全員が成功した西ドイツに対して、スチュアート・ピアースとクリス・ワドルが失敗したイングランドが敗退。ここから歴史は始まった。

1996年UEFAユーロ

自国開催だった1996年大会での準々決勝メジャートーナメントで唯一となるPK戦での勝利を、スペイン相手に収めた。準決勝で対戦したのは、6年前に苦杯をなめたドイツ。アラン・シアラー、デビッド・プラット、ピアース、ガスコイン、テディ・シェリンガムがきっちり成功させたが、7人目のキッカーを務めたガレス・サウスゲートが失敗して大会を去ることに。サウスゲートは現在のイングランド代表監督だ。

1998年フランスW杯

「10人の勇敢なライオンとひとりの愚か者」という有名な新聞見出しが生まれた大会。因縁の相手であるアルゼンチンと決勝トーナメント1回戦で対戦したイングランドは、先制されたものの、キャプテンを務めたシアラーのPKと“ワンダーボーイ”マイケル・オーウェンのゴールで逆転に成功。しかし2-2の同点に追いつかれるとともに、デビッド・ベッカムがディエゴ・シメオネの挑発に乗り、報復行為によって1発退場に。そのままPK戦に持ち込んだもののポール・インスとデビッド・バッティが失敗して敗退した。

2004年UEFAユーロ

フランスとともにグループを通過したイングランドは準々決勝で開催国のポルトガルと激突。幸先よくオーウェンが先制点を挙げるものの後半終了間際に追いつかれて延長戦に。マヌエル・ルイ・コスタのゴールで勝ち越されるもフランク・ランパードが決めてPK戦へ。ひとりめのベッカムが失敗するもそのあとの5人が成功。しかし気合を入れるために素手になったポルトガルのGKリカルドに、ダリウス・バッセルがキックをストップされて勝敗が決した。

2006年ドイツW杯

それから2年後のW杯で両者は再び相まみえる。ウェイン・ルーニーが退場になった時に、当時チームメイトだったクリスティアーノ・ロナウドが喜ぶようなしぐさを見せた試合は、大荒れの展開に。両者譲らず0-0でPK戦にもつれ込むとイングランドはオーウェン・ハーグリーブス以外の3人全てが失敗してまたもやポルトガルの前に散った。

2012年UEFAユーロ

グループを首位で通過したイングランドは、準々決勝でイタリアと対戦。0-0でPK戦に突入。スティーブン・ジェラードとルーニーが成功する中、イタリアのリカルド・モントリーボが失敗してリードを奪ったものの、そのあとにアシュリー・ヤングとアシュリー・コールが失敗。後の3人がしっかり決めたイタリアが、結果的には決勝まで駒を進めた。