Jリーグ FC東京

J1最年少出場、FC東京の北原槙は類まれなる逸材か。森本、久保らと比較検証

久保建英(左)森本貴幸(中)中井卓大(右)写真:Getty Images

3月1日に開催された明治安田J1リーグ第4節、鹿島アントラーズ対FC東京(カシマサッカースタジアム/2-0)において、FC東京の“スーパー中学生”ことMF北原槙がJ1最年少出場記録(15歳7か月22日)を樹立した。

北原は第3節の名古屋グランパス戦(味の素スタジアム/3-1)で初のベンチ入り。鹿島とのアウェイ戦で、しかも1点ビハインドというなかなかシビアな状況での初起用は、今2025シーズンから指揮を執る松橋力蔵新監督からの期待が大きいことを物語っている。

後半38分、MF高宇洋に代わってボランチの位置に入り、アディショナルタイムも合わせ14分ほど出場した北原。ボールタッチ数は3回にとどまり、縦パスは簡単にカットされ、自陣深くでファウルを取られてしまうなどまだまだ甘さを見せ、後半46分には鹿島FW師岡柊生にダメ押しゴールを喫しほろ苦いデビュー戦となったが、ボディーフェイントで相手をかわすシーンを披露するなど、“片鱗”は見せた。

体付きを見るとやや線の細さが目立ち、まだ成長期であることを感じさせるが、ジュニアユース(FC東京U-15むさし)所属であることを考えれば、“2段飛び級”でトップチームの試合に出場したこと自体奇跡的なことであり、視察に訪れていた森保一日本代表監督も「日本の将来を担っていく素晴らしい選手」と目を細めた。

プロへの大きな一歩目を記した北原だが、デビューした以上この先は当然結果を求められ、若くしてプロデビューを果たした先人と比較されることになる。

チームリーダーのDF長友佑都(38歳)とは親子ほどの年齢差がある。その長友は当時31歳だった2018FIFAワールドカップロシア大会前に、「年齢で物事判断する人はサッカー知らない人」とTwitter(現X)に投稿し賛否両論を呼んだ。この出来事から7年。長友は未だFC東京でレギュラーを張り、現役日本代表選手だ。ピッチに入れば年齢など関係ないことは、彼が身をもって教えてくれている。北原にとっても良い環境にあるといっていいだろう。

ここでは、北原が持つポテンシャルの高さに焦点を当てながら、若くしてプロデビューを果たしたFW森本貴幸(2024年引退)、MF久保建英(現レアル・ソシエダ)、さらにMF中井卓大(現スペイン4部ラージョ・カンタブリア)と比較し、その将来を検証していきたい。

  • MF北原槙(15歳7か月22日デビュー)174cm、66kg
  • FW森本貴幸(15歳10カ月6日デビュー)180cm、77kg
  • MF久保建英(16歳5カ月22日デビュー)173cm、67kg
  • MF中井卓大(16歳の誕生日にレアル・マドリードとプロ契約)178cm、73kg

森本貴幸 写真:Getty Images

森本貴幸の記録

今回、北原に記録を破られる形となったのがFW森本貴幸だ。当時東京ヴェルディに所属していた森本は、オズワルド・アルディレス監督に見い出された形で、ジュニアユース所属(1998-2004)にも関わらず、2004シーズン開幕戦のジュビロ磐田戦(ヤマハスタジアム/0-2)に後半6分から出場し15歳10か月6日で公式戦出場を果たした。

同年5月5日の第8節ジェフユナイテッド市原・千葉戦(味の素スタジアム/2-1)で途中出場から後半41分に決勝点を決め、15歳11か月28日というJ1史上最年少得点記録も樹立。その後も活躍しシーズン4得点を挙げ、Jリーグ最優秀新人賞(現在は「ベストヤングプレーヤー賞」に改称)を獲得している。

東京VではJ2降格も経験した森本だったが、2006シーズン途中に18歳の若さでセリエAのカターニャへ移籍(当初はレンタル移籍で2007シーズンに完全移籍に移行)。2007年1月29日のアタランタ戦で後半39分から移籍後初出場した4分後の後半43分に初ゴールを決めてみせ、自身の能力を示してみせた(出場・ゴールともに現在までセリエA日本人最年少記録)。

一見するとややずんぐりした体型だが、「和製ロナウド」の異名通り迫力十分のドリブル突破が武器だった森本。しかしそのプレースタイルゆえ故障も多く、キャリア中盤からはケガとの闘いを強いられ、UAEのアル・ナスルを経てJ復帰。

千葉(2013-2015)、川崎フロンターレ(2016-2017)、アビスパ福岡(2018-2020)と渡り歩く度に徐々に輝きを失っていき、2020シーズンには再び海外に活躍の場を求め、ギリシャ3部のAEPコザニ(2020-2021)、パラグアイ1部のスポルティボ・ルケーニョ(2021)、台湾社会人甲級の台中Futuro(2022-2023)、セリエDのアクラガス(2023-2024)と移籍を繰り返す。

度重なる負傷や新型コロナによるリーグ戦中止、書類不備による登録不可などといった不運も重なり、35歳となった2024年、20年に渡るプロ生活にピリオドを打った。

五輪代表として北京五輪に出場したもののチームは3戦全敗に終わり、A代表でも印象的な活躍が出来なかった(10試合3得点)上、キャリア晩年には飲酒運転で事故を起こすなどの不祥事もあった森本。「早熟」という印象を残したが、セリエAで通算7シーズンも過ごしたことは、その実力が認められたことの証明でもある。

森本のサッカー人生を決定付けたのは、15歳の彼を大抜擢したアルディレス監督の慧眼であり、実戦経験を積ませたことにある。今後、北原がレギュラーポジションを奪取できるかは本人の努力も必須だが、松橋監督が忍耐強く起用できるかどうかにかかっている。

Previous
ページ 1 / 2

名前:寺島武志

趣味:サッカー観戦(Jリーグ、欧州5大リーグ、欧州CL・EL)、映画鑑賞、ドラマ考察、野球観戦(巨人ファン、高校野球、東京六大学野球)、サッカー観戦を伴う旅行、スポーツバー巡り、競馬
好きなチーム:Jリーグでは清水エスパルス、福島ユナイテッドFC、欧州では「銀河系軍団(ロス・ガラクティコス)」と呼ばれた2000-06頃のレアルマドリード、当時37歳のカルロ・アンチェロッティを新監督に迎え、エンリコ・キエーザ、エルナン・クレスポ、リリアン・テュラム、ジャンフランコ・ゾラ、ファビオ・カンナヴァーロ、ジャンルイジ・ブッフォンらを擁した1996-97のパルマ、現在のお気に入りはシャビ・アロンソ率いるバイヤー・レバークーゼン

新卒で、UFO・宇宙人・ネッシー・カッパが1面を飾る某スポーツ新聞社に入社し、約24年在籍。その間、池袋コミュニティ・カレッジ主催の「後藤健生のサッカーライター養成講座」を受講。独立後は、映画・ドラマのレビューサイトなど、数社で執筆。
1993年のクラブ創設時からの清水エスパルスサポーター。1995年2月、サンプドリアvsユベントスを生観戦し、欧州サッカーにもハマる。以降、毎年渡欧し、訪れたスタジアムは50以上。ワールドカップは1998年フランス大会、2002年日韓大会、2018年ロシア大会、2022年カタール大会を現地観戦。2018年、2022年は日本代表のラウンド16敗退を見届け、未だ日本代表がワールドカップで勝った試合をこの目で見たこと無し。
“サッカーは究極のエンタメ”を信条に、清濁併せ吞む気概も持ちつつ、読者の皆様の関心に応える記事をお届けしていきたいと考えております。

筆者記事一覧