代表チーム ドイツ代表

デビューから代表引退まで、写真で振り返るエジルのキャリア

母国のサッカー関係者やファンから大きな批判を浴び、代表引退へと追い込まれたメスト・エジル。13年前のプロデビューから現在に至るまでのキャリアを、ドイツの視点から写真と共に振り返ってみよう。


シャルケでプロデビュー

トルコ系移民として1988年にゲルゼンキルヘンで生まれたエジルは、2005年にシャルケの下部組織に加わった。17歳でトップチームデビューを果たすとすぐに頭角を現し、1年半の間にブンデスリーガ30試合に出場した。


ブレーメンへ移籍

給与に関する交渉がまとまらずシャルケからの契約延長オファーを断ったエジルは、2008年1月に500万ユーロ(約6億5000万円)の移籍金でベルダー・ブレーメンに移籍。背番号11を背負いすぐにレギュラーポジションを掴むと、多くのアシストでチームに貢献しリーグ屈指のプレーメーカーへと成長した。


代表デビュー

ブレーメンでの活躍により評価を高めたエジルは、2009年2月のノルウェー代表との親善試合で代表デビューを果たした。同年6月にはマヌエル・ノイアーやマッツ・フンメルスらと共にU-21欧州選手権を制するなど国際舞台でも輝きを放ち、2010年W杯の全試合に先発出場して高い評価を得た。


レアル・マドリード、そしてアーセナルへ

W杯での活躍後、21歳だったエジルはレアル・マドリードへと活躍の場を移した。初年度から公式戦28アシストを記録し2年目にはリーガ制覇に貢献するなど、激しいポジション争いの中でも結果を残した。2013年には5000万ユーロ(約65億円)でアーセナルへ移籍し、アーセン・ベンゲル監督のもとチームの中心としてプレーすることになる。


移民統合の象徴に

ドイツ代表の中心選手として活躍したことにより、エジルは移民統合の成功例としてドイツメディア主催の権威ある「バンビ賞」を受賞した。


ワールドカップ優勝

自身2度目のW杯となった2014年ブラジル大会、エジルはヨアヒム・レーブ監督率いるチームの司令塔として活躍。多くのチャンスを生み出してドイツ代表4度目の優勝に大きく貢献した。


トルコ大統領と面会

2018年5月、クラブでのシーズンを終えたエジルはドイツ代表の同僚イルカイ・ギュンドアンとともにトルコのエルドアン大統領と面会し、ユニフォームをプレゼントして写真撮影を行った。この行為により独裁者をサポートしている、ドイツへの忠誠心を欠いているなどと批判を浴びることになる。


W杯の失望と代表引退

ロシアW杯はグループステージ敗退という悲惨な結果に終わり、大会前から批判を浴び続けたエジルも精彩を欠いた。ドイツ代表通算92試合出場、23得点40アシストを記録したプレーメーカーは今月に入って代表引退を発表し「私は勝てばドイツ人だが、負ければ移民(として扱われる)」と語っている。