AFFフットサル選手権2018で、開催国のインドネシア代表は第3位となった。このチームを率いていたのが、2017/2018シーズンはFリーグのバルドラール浦安で指揮を執っていた高橋健介監督である。
順天堂大時代から日本代表入りを果たした高橋は、2004年チャイニーズタイペイ大会、08年ブラジル大会、12年タイ大会と、3度もフットサルW杯を戦う日本代表にも選出された。残念ながら大会直前に負傷した08年大会の出場は叶わなかったが、2度のW杯を戦っている。体のサイズ、スピードといったフィジカルで突出した選手ではない。それでも、いつ、どこで、何をするべきかを把握している彼は、面白いようにゴールを量産していった。
しっかりとしたロジックを持ち合わせていた彼は、戦術的な話をする際は常にチームの中心にいることになり、少なくない数のトッププレーヤーが彼に心酔した。
もともと頭脳的なプレーヤーであった高橋だが、08年から3シーズンにわたってスペインでプレーしたことで、より多くの引き出しを持つことになった。
彼が移籍したスペイン1部リーグのクラブは、カハ・セゴビアFSだった。そして当時、そこで指揮を執っていたのが、ミゲル・ロドリゴ監督だった。
現在とは違い、まだスペイン語も話せない状況で、それでも高橋はミゲル・ロドリゴ監督の指示を少しでも吸収しようと取り組んだ。ミゲル・ロドリゴ監督がその熱量と、類まれな頭脳を見逃すはずがなかった。
ミゲル・ロドリゴは監督として高橋健介を支え、高橋健介は選手としてミゲル・ロドリゴを助けた。
2008シーズン終了後、ミゲル・ロドリゴがチームを離れ、カハ・セゴビアでの挑戦を終えた。それでも、彼らの関係は続いた。
2009年、ミゲル・ロドリゴ監督は日本代表の監督に就任する。2人は2012年に、日本代表としてタイで開催されたW杯を戦い、史上初の決勝トーナメント進出を果たした。
その後、日本代表が若返りをはかる中で、負傷も少なくなかった高橋は代表に呼ばれなくなっていった。そして2016/2017シーズン限りで現役を引退した高橋は、そのまま浦安の監督に就任した。
浦安で1シーズン、指揮を執ったのち、高橋はインドネシア代表の監督に就任した。男子フル代表、女子代表、さらにはU-20代表まで、すべてのカテゴリーの監督を務める重責だ。
そして、その1年目の集大成ともいえる大会が、このAFFフットサル選手権だった。
日本とは比べ物にならないほど、熱狂的なフットサルファンが多いインドネシア。グループステージを2位で突破すると、準決勝では優勝候補筆頭のタイ代表と対戦した。
ドリブルを仕掛けようとしたゴレイロがミスをして、そのまま失点を喫するなど、2点のビハインドを背負ったインドネシアだったが、後半に2ゴールを返して同点に追いつく。結局、延長戦の後半終了まで残りわずかのところで決勝点を決められて2-3で敗れたものの、誰の目にもチームが発展していることは明らかだった。
ここでタイトルへの望みが絶たれたインドネシアだったが、彼らには銅メダルを懸けた戦いが残っていた。その3位決定戦の対戦相手となったのがベトナム代表であり、チームを率いていたのが、ミゲル・ロドリゴ監督だった。
これまでは監督と選手という関係にいた2人が、初めて監督同士として、東南アジアの最高峰の大会で相まみえた。
その試合、高橋監督の率いるインドネシアは、3-1でミゲル・ロドリゴ監督の率いるベトナム代表を破り、見事に3位となって銅メダルを獲得した。
2人にとって、忘れられない、特別な一戦になっただろう。
そんな2人の素敵な人間ドラマに酔っている訳にもいかない。
大会を制したタイはもちろん、準優勝のマレーシア、3位のインドネシア、4位のベトナムと東南アジア各国の成長は著しい。
2016年のW杯予選で敗退した日本は、2020年のW杯の開催国になることができなかった。リトアニアのW杯に出るためには、来年のAFCフットサル選手権予選を勝ち抜き、4年前以上に強くなっているであろう東南アジアの国々とも、W杯出場を懸けて戦わなければいけない。
高橋監督の率いるインドネシア代表を、ミゲル・ロドリゴ監督の率いるベトナム代表を、日本代表は倒せるレベルを保てているのか。十分な強化が、できているのか。
日本代表とも深い関わりのある2人の東南アジアでの対戦は、酔いがさめる、美しいものだった。
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