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C大阪クルピ前監督解任を巡る“お家騒動”の背景

香川真司(左)乾貴士(右)写真提供:Gettyimages

クルピ監督&梶野氏「最強タッグ」の功績

クルピ監督は、これまでC大阪で4度(1度目は1997年、2度目は2007年5月から2011年、3度目は2012年8月から2013年、4度目は今回)に渡って監督を務めてきた。香川や乾貴士、清武ら欧州クラブへ移籍して世界の第一線で活躍する日本代表戦士を何人も輩出してきた功労者である。

そして、そのクルピ監督の招へいや無名の若手だった乾や清武らを獲得し、低予算でやり繰りしながら魅力的なチームを編成してきたのがチーム統括部長の梶野氏だ。C大阪のOBで初代主将でもある梶野氏は、現役時代にクルピ監督の指導も受けていた。1999年にコンサドーレ札幌(現北海道コンサドーレ札幌)で現役引退すると、翌年から古巣C大阪に戻り、スクールの運営や指導など様々な役職を経験した。

2007年5月にはJ2でチームが低迷する中、梶野氏は急遽C大阪のチーム統括部長に就任。その際に招へいしたのが当時2度目の指揮となるクルピ監督だった。クルピ監督は就任直後、ボランチを本職としていた18歳の香川を2列目にコンバートして主力に抜擢し、就任2年目の途中に加入した乾を香川の相棒に据えた。そして、日本人らしいテクニックに優れた2列目の選手が自らゴールを量産する魅力的なチームを作り上げた。

香川や乾がC大阪からドイツへ渡った当時、香川を含めJクラブ在籍の選手が移籍金なしで海外移籍するような事例が相次いでいた。しかし梶野氏は、いち早く欧州水準のスキームで移籍金を獲得できるように設定し、その移籍金で新戦力を獲得するというスマートなチーム編成を軌道に乗せた。柿谷曜一朗(現名古屋グランパス)や山口蛍(現ヴィッセル神戸)ら下部組織出身の若手選手がチームの軸になった2012年以降は、「セレ女」と呼ばれる女性サポーターの多さでも注目を集める人気チームへと変貌を遂げたのである。

梶野氏はブラジル人選手の世話役を務めた経験からもポルトガル語が堪能である。現役時代にC大阪でチームメイトだった元ブラジル代表GKジルマール氏が母国で代理業を務めている関係もあり、そのスキルやコネクションを活かして有力なブラジル人選手を「友達割引」の格安で獲得し続けることもできた。2009年から3シーズンに渡って10番を背負ったMFマルチネスや、G大阪に引き抜かれたFWアドリアーノなどはその一例である。筆者は梶野氏が複数の携帯電話を持ちながら異なる言語で電話に対応している場に遭遇したことがあり、その1週間後に発表されたのが当時イタリアの強豪ローマに所属していた元ブラジル代表MFファビオ・シンプリシオの獲得だった。

一方、クルピ監督は数多くの若手を抜擢しながらC大阪を2010年にJ1で3位に。2011年限りで2度目の退任となったが、半年後にはJ2降格危機に瀕するチームのために3度目の就任を決め、見事にJ1残留。翌2013年に同4位へと押し上げ、ACL出場権も獲得して見せた。

クルピ監督&梶野氏の体制はC大阪にとって救世主のような「最強タッグ」だったのである。

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