プレミアリーグ トッテナム

33年ぶり来日のトッテナム!日本代表に大敗した当時のメンバーまとめ

ポール・アレン 写真:Getty Images

MFポール・アレン

1980年のFAカップ決勝ウェストハム・ユナイテッド対アーセナル(1-0)に17歳で出場したポール・アレンは、ウェンブリー・スタジアムにおける同カップ決勝出場選手の最年少記録を更新した。1985年から1993年までトッテナムに在籍しチームの中盤を支え続け、1991年にはクラブの年間最優秀選手にも輝いている。


MFポール・スチュアート

1991年FAカップ決勝の得点者であるポール・スチュアート。デビューしたブラックプールでは主にフォワードとしてプレーしていたが、トッテナムでは中盤を主軸に活躍。攻撃的MFとしてMFポール・ガスコインと共にチームを牽引した。キリンカップではキャプテンを務めるなど1988年から4シーズンにわたりトッテナムの主力として存在感を発揮。しかし、その後リバプールへと移籍した。


ヴィニー・サムウェイズ 写真:Getty Images

MFヴィニー・サムウェイズ

トッテナムのユースからそのままトップチームデビューを果たしたヴィニー・サムウェイズ。1994年以降はエバートンを経て、28歳でラ・リーガ(スペイン)のラス・パルマスに移籍している。パルマスではイングランド人でありながらカピタン(キャプテン)を務めるなど、スペインサッカーにおけるイングランド選手の地位を築いた一人と言えよう。


デイビッド・ハウエルズ 写真:Getty Images

MFデイビッド・ハウエルズ

1985年から1998年までトッテナムに在籍し、1991年FAカップ優勝の立役者としても活躍したデイビッド・ハウエルズ。FAカップでは中盤の底としてプレーしていた。2019年にトッテナムの新スタジアム「トッテナム・ホットスパー・スタジアム」が完成した際、OBたちによるレジェンド・マッチにメンバーとして参加した。


FWジョン・ヘンドリー

スコットランド出身のジョン・ヘンドリーは、1990年にダンディー(当時スコットランド1部)からトッテナムに加入した。1993年5月に行われたアーセナルとの“ノースロンドン・ダービー”では、アーセナルのホーム「ハイバリー・スタジアム」で2ゴールを奪い、3-1の勝利に貢献。なお、同ダービーにおいてトッテナムの選手がアウェーで2ゴールを記録したのは、ヘンドリーとFWソン・フンミン(現トッテナム所属)の2選手のみである。


ゲーリー・リネカー 写真:Getty Images

FWゲーリー・リネカー

1986年のFIFAワールドカップメキシコ大会では、イングランド代表として6得点を挙げ得点王になったゲーリー・リネカー。1989/90シーズンにはトッテナムで24得点を挙げてイングランドリーグ1部でも得点王を獲得した。スピードを活かしたプレーで得点を量産し続けるイングランド屈指の点取り屋だ。リネカーはトッテナムが日本代表と戦ったキリンカップの翌1992年、Jリーグ開幕前の名古屋グランパスへ鳴り物入りで加入。在籍していた2年間の成績は18試合4ゴールだったが、イングランドのレジェンドの存在は、Jリーグの盛り上がりに間違いなく一役買ったはずである。1994年、名古屋退団とともに現役を引退した。


国立競技場 写真:Getty Images

国立での試合に期待が高まる

日本サッカーの転換期に来日したトッテナムが再びやってくる。Jリーグの開幕から31年が経過し、いまや日本でもサッカーは人気のスポーツとなっている。配信技術の向上により、トッテナムをはじめ様々な海外クラブとファンやサポーターの距離も近くなった。

33年前と同じ会場で開催される今夏のヴィッセル神戸戦が、トッテナムに驚きを与えられる内容になることを望むとともに、ここからさらに日本サッカーが発展するきっかけになることを願ってやまない。

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名前:浅野 凜太郎

趣味:サッカー観戦、旅行、音楽鑑賞、撮影
好きなチーム:マンチェスター・ユナイテッド
ワールドカップに行くことが夢です。よろしくお願いいたします。

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