Jリーグ

推定年俸ジャスト1億円Jリーガー14選!

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「1億円」という金額は、あらゆるアスリートにとってのある成功の目安とも夢の数字とも言えよう。東京五輪のフェンシング男子エペ団体で日本初となる金メダルを獲得した見延和靖選手が報奨金1億円を贈られた。マラソン強化を狙って2015年に創設された制度では、大迫傑選手が日本記録樹立で1億円を2度獲得した。バスケ界では2019年、日本初の年俸1億円プレーヤーとして富樫勇樹選手が話題を呼んだ。

日本人アスリートの年俸としては、テニスの大坂なおみ選手(約68億円)が2021年発表の世界ランクにも上がる圧倒的高額な中、やはり常に上位に目立つのはプロ野球、ゴルフ、そしてサッカー界の選手たちだ。年俸1億円を超える選手の数ではプロ野球界が圧倒的(2021年76名)である。ところで選手ならずも、話題の北海道日本ハムファイターズ新庄剛志新監督の年俸も推定1億円と報じられて新しい。

サッカー選手に関してはJリーグという枠に限り、2021年22名の選手が1億円を超える年俸だと推定されている(外国人選手も含む)。ここでは2021年Jリーグ年俸1億円超え選手のうち、ジャスト「1億円」の推定年俸となるJ1リーガー14人に焦点を当ててその所以を紹介しよう。

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山口蛍 写真提供:Gettyimages

山口蛍(ヴィッセル神戸)

セレッソ大阪のユースで育ち、2009年に同クラブのトップチームに昇格した山口蛍。現在はヴィッセル神戸に所属し、スタメン選手として多くの試合に出場している。

2015年に当時ブンデスリーガ1部のハノーファーへ完全移籍を果たした山口だが、翌年3月29日に行われた2018FIFAワールドカップ・アジア2次予選のシリア代表戦で鼻、眼窩底を骨折。それもあってドイツでの出場が6試合に止まり、クラブの2部降格と共に同年6月にC大阪に復帰した。海外では志半ばでもJリーグでの活躍はピカイチで、2016年にはJ2だったC大阪の1部昇格に大きく貢献した上、J1復活の2017シーズンには10番を背負い、クラブ初タイトルとなったルヴァンカップ(以下Jリーグカップ)と天皇杯の優勝を手にした。

そんな山口は、2019年に神戸に移籍してからの年俸が1億円だと言われている。2019シーズンの全試合でフル出場。そして、翌年1月1日に行われた天皇杯で優勝し、神戸の初タイトル獲得にも貢献。2020年のスーパーカップ(FUJI XEROX SUPER CUP)も勝利した。


キム・ヨングォン 写真提供:Gettyimages

キム・ヨングォン(ガンバ大阪)

2009年のFIFA U-20ワールドカップに韓国代表DFとして出場したキム・ヨングォン。FC東京にスカウトされ、2010年J1リーグ第3節でプロデビューを果たす。2011シーズンから大宮アルディージャに移籍し1年半ほどプレー。翌年、かつてイタリア代表をワールドカップ優勝(2006)に導いたマルチェロ・リッピ監督(当時広州恒大指揮官)に評価され、中国での新たな冒険をスタートした。

広州恒大(2012-2018)でプレーすることとなったキム・ヨングォンは、リーグ優勝6連覇に貢献。中国FAカップ(2011/12、2015/16)中国サッカースーパーカップ(2015/16)AFCチャンピオンズリーグ(2012/13、2014/15)でも優勝を果たしている。

2019年1月にガンバ大阪に加入したキム・ヨングォン。年俸1億円と言われる中、2021シーズン限りで日本を去る可能性を複数のメディアが報じている。Kリーグ蔚山現代から3年の大型オファーが届き、初めて母国のプロクラブでプレーする可能性が出てきたようだ。


キム・ジンヒョン 写真提供:Gettyimages

キム・ジンヒョン(セレッソ大阪)

年俸1億円と思われるもう1人の韓国人Jリーガーは、2009年からC大阪のGKとして500試合以上に出場し、クラブ史上最多を記録しているキム・ジンヒョンだ。

C大阪加入時からレギュラーとなり、2014年にJ2降格が決まった時も「状況が悪いからといって逃げるのは男としてするべきでないと思った。サッカーは私の人生で最も幸せなことだが、この程度のこと(降格)で逃げたくはなかった」とコメントし、残留を決意した。

同クラブと共には、Jリーグカップ(2017)天皇杯(2017)スーパーカップ(2018)を優勝している。また2011年からは韓国代表GKとして、2018年FIFAワールドカップのメンバーなどにも選抜されている。


清武弘嗣 写真提供:Gettyimages

清武弘嗣(セレッソ大阪)

2017年、C大阪に復帰したFW清武弘嗣。ユース時代は大分トリニータでプレーし、2008年にトップチームに昇格。2010年にC大阪に1度目の移籍をすると、同年ボルシア・ドルトムントへ旅立った香川真司の穴を埋める存在となったが、1年半あまりで清武もドイツへ旅立つことになる。

2012年7月にニュルンベルク(当時ブンデスリーガ1部)へ完全移籍し、2012/13シーズン中に合計4得点11アシストを記録。翌2013/14シーズンはレギュラーとしてプレーするも、ニュルンベルクは2部への降格が決まってしまう。2014年7月にハノーファー(当時1部)に加入し、2015/16シーズンから背番号10を身につけるまでに信頼を得ると、長い期間怪我でピッチに立つことができなかったにもかかわらず、5得点6アシストを記録した。

2016年6月にはラ・リーガ(スペイン1部)セビージャでのプレーに挑戦するもレギュラーの座を掴めず、わずか6ヶ月で欧州を離れC大阪に戻ることになる。年俸1億円と思われる中、2020年12月に2023シーズン終了までの契約延長が発表された。

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名前Uccheddu Davide(ウッケッドゥ・ダビデ)
国籍:イタリア
趣味:サッカー、アニメ、ボウリング、囲碁
好きなチーム:ACミラン、北海道コンサドーレ札幌、アビスパ福岡

14年前に来日したイタリア人です。フットボール・トライブ設立メンバーの1人。6歳の時に初めてミランの練習に連れて行ってもらい、マルディーニ、バレージ、コスタクルタに会ってからミランのサポーターに。アビスパ福岡でファビオ・ペッキア監督の通訳も務めた経験があります。

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