代表チーム

出身国の代表としてプレーしなかった、世界的スター選手6選

サッカーには大きく分けてクラブと代表の2つの戦いがある。代表での戦いは、クラブでの戦い以上に意地と意地がぶつかり合い、クラブの戦いでは感じることのできないパッションを観る者に与える。生まれてから最初に与えられた国籍でプレーすることが多い代表だが、中には様々な理由から、2つ目以降に与えられた国籍でプレーする選手たちがいる。今回はそんな6人のスター選手をご紹介する。


ペペ

代表:ポルトガル

ブラジル生まれのペペはコリンチャンスの下部組織で育った。しかし、18歳でポルトガルのマリティモと契約。2002/2003シーズンにはトップチームデビューを飾るなど、ポルトガルの地で成功を収めた。その後、ポルトに移籍し順調にキャリアを積み重ねたペペは2007年にポルトガル国籍を取得。そして、同年9月にポルトガル代表から招集がかかり、それを承諾した。ブラジル国内でよりも、ポルトガルでの認知度が高かった彼にとっては自然な選択だったと言えるかもしれない。


パトリック・ビエラ

代表:フランス

セネガルの首都ダカールで生まれたビエラだが、幼少期にはフランスに移住している。かつてフランスの植民地だったセネガルではフランス語は公用語の1つであり、フランスへの移住に関して言語面では障害が少ない。フランスで本格的にサッカーを始めたビエラにとっては、フランスのほうがセネガルよりも親しみの持てる国だと考えているのかもしれない。彼の両親がフランスへの移住を決断していなければ、世界最高レベルのMFは誕生していなかった可能性もあるだろう。


カリドゥ・クリバリ

代表:セネガル

ビエラがセネガル生まれでフランス代表を選んだのに対して、クリバリはフランス生まれでセネガル代表を選んでいる。セネガル代表を「ハートで決めた」と語ったクリバリ、ロシアW杯後には「後悔は全くない。セネガルサッカーの未来についての物語を描きたいんだ。できると信じているよ。W杯は素晴らしい経験になった。僕はセネガルがアフリカ最高のチームであると証明したかったんだ」と語っている。両国にルーツを持つクリバリならではの、代表チームの選び方だ。


クラレンス・セードルフ

代表:オランダ

3つの異なるクラブ(アヤックス、ミラン、レアル・マドリード)でのチャンピオンズリーグ(CL)制覇など、世界で最も成功したサッカー選手の1人であるセードルフはオランダ代表としてプレーした。ただ、彼が生まれたのはスリナム共和国だ。ただ、セードルフがオランダ代表を選択したことには何の疑問もない。スリナムとオランダは歴史的なつながりが強く(植民地だった)、オランダには多くのスリナム系オランダ人が住んでいる。これは第二次世界大戦後に自治権を回復したスリナムが、国民がオランダ国籍を取得する権利と、自由にオランダに渡航する権利を得たことが影響している。国民的な感情で言えば、違和感のないことだと言えるだろう。


クローゼ&ポドルスキ

代表:ドイツ

ドイツ代表のレジェンド、ミロスラフ・クローゼとルーカス・ポドルスキはともにポーランド出身のサッカー選手だ。ただ、彼らが生まれたオーバーシュレージエン地方は中世以降ドイツとポーランドのはざまで混乱を味わってきた地域。クローゼとポドルスキは豊かな生活を求め、ドイツに移住する移民の中の1人だった。過去のインタビューの中でクローゼはこう語っている。

「8歳の時にフリートランドの入国管理センターに行くことができた。多くの移民が寝泊まりしていて、常にだれかの泣いている声が聞こえてくる。ドイツへの入国許可が下りてゲートが開いたときは、新たな人生のスタートだと感じた」

ただ、ポーランドとドイツは使う言語が違う。クローゼは小学校を2年留年した過去を持つ。そのような過去を持つ選手がドイツ国籍を選ぶのは、経済的な理由にこだわる部分もあるだろう。ブンデスリーガでプレーするなら、ドイツ国籍を持っていたほうが、外国籍選手に比べて与えられるチャンスは増える。


名前:菊池大将
趣味:サッカー観戦、映画鑑賞、読書
好きなチーム:ACミラン
幼少期に父親の影響でミランが好きになりました。アイドルはシェフチェンコ。パッション、データ、経済、カルチャー、サッカーの持つ様々な表情を見るのが好きです。よろしくお願い致します!

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