
金民友(MF/2010-2016)
韓国出身のMF金民友(キム・ミヌ/現Y.S.C.C.横浜)は、鳥栖のJ1躍進を支えた外国籍選手の代表である。2010年に加入すると、高い技術と豊富な運動量を武器にレギュラーへ定着した。
左サイドを主戦場としながら、中盤やサイドバックまでこなし、正確な左足のキックで鳥栖の攻撃をけん引した。在籍最終年となった2016年には、外国籍選手としてクラブ史上初となる主将を務め、名実ともにチームの中心であった。
2013年には韓国代表に招集され、EAFF東アジアカップ2013やAFCアジアカップ2015といった大会に出場を重ね、クラブの名前をアジアへ広げる役割を果たした。韓国代表と鳥栖の両方で、高いレベルを維持し続けた姿勢は、多くのサポーターの記憶に残っている。
金は派手な個人技だけでなく、献身的な守備や最後まで走り抜く姿勢でも高く評価された。攻撃では決定機を演出し、守備では激しく相手を追い続けるプレースタイルは、鳥栖らしい献身的なサッカーを象徴していた。
攻守にわたるひたむきなプレーと高い技術でJ1躍進期を彩った金は、鳥栖を代表する外国籍選手として今も多くのサポーターに愛され続けている。

藤田直之(MF/2010-2015、2022-2024)
MF藤田直之は、鳥栖のJ1昇格とその後のチームを牽引したゲームメーカーである。2010年に福岡大学より加入すると、卓越した戦術眼と正確なキックを武器に、中盤の中心選手として定着した。
最大の武器は試合全体をコントロールする能力と、ペナルティーエリアまで高い軌道で届く「ロングスロー」だった。ボールを受ける位置、味方を動かすパス、攻守の切り替えなど、派手さではなく判断力で試合を支配し、セットプレーやロングスローから数多くの得点機を演出した。また、守備でも献身的に走り続け、攻守両面で貢献した。
J1昇格初年度となる2012年からはキャプテンに就任し、中盤の司令塔としてチームを牽引。藤田が在籍した2012年と2014年は、鳥栖がJ1で2度の5位躍進を遂げるなど、最も安定した成績を残した時代である。
その後、ヴィッセル神戸、セレッソ大阪でのプレーを経て、2022年に鳥栖へ復帰。再びキャプテンとして若いチームをピッチ内外で支え、2024年に現役を引退した。初のJ1昇格から上位進出までの黄金期を中盤から支えた藤田は、鳥栖のサッカーを体現したゲームメーカーの一人である。

シュナイダー潤之介(GK/2001-2006)
GKシュナイダー潤之介(2015年引退)は、J2時代の鳥栖を象徴する守護神である。2001年にセレクションを経て加入すると、恵まれた体格と優れた反射神経を生かしたセービングでゴールマウスを守り続けた。
当時の鳥栖は、2003年から2004年にかけて運営会社の解散危機や存続問題が表面化するなど、極めて厳しい財政状況に置かれていた。十分な戦力補強も難しく、J2で下位に低迷するシーズンが続く中、シュナイダーは幾度となくビッグセーブを見せ、苦しい試合でも最後の砦としてチームを救い続けた。
J1昇格争いとは無縁のシーズンが続く中でも、常に高いパフォーマンスを維持し、鳥栖では通算131試合に出場した。クラブの存続自体が危ぶまれた苦しい時代を知るサポーターから、現在も高い評価と人気を得ている理由は、この過酷な環境下で全力を尽くした実績にある。
華々しいタイトルこそないものの、クラブ存続の危機を知るサポーターにとって、シュナイダーは苦難の時代をともに戦い抜いた守護神である。その存在は、鳥栖の歩みに深く刻まれている。
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