Jリーグ モンテディオ山形

J2モンテディオ山形~監督交代で急浮上の理由と歴史的背景

モンテディオ山形

明治安田生命J2リーグは、東京五輪による約3週間の中断期間を経て8月9日(月)に第24節からの再開予定だ。中断前最後の第23節(7月17、18日)には大きな動きがあった。

まずは第14節からの8連勝で一気に首位に立ったジュビロ磐田が、直近2試合を1分1敗で終えて2位に陥落。第21節終了後に22歳の大型MF伊藤洋輝(今季は主に左センターバック)がドイツ1部のシュツットガルトへ移籍しており、その影響も考えられる。また、磐田と同じ勝点48の首位京都サンガから、8位のV・ファーレン長崎までの勝点差が僅か8となる大混戦に。町田ゼルビア(直近5試合4勝1分)、ヴァンフォーレ甲府(4連勝中)は連勝で中位から完全に抜け出しそれぞれ7位と5位。8位長崎は、松田浩監督が就任して以降の11試合で8勝2分1敗とV字回復し、その間17得点6失点と守備組織を整備して攻守のバランスを取れるようになった。

J1参入プレーオフがない今季はJ1昇格への道が上位2位以内に限られる中、熾烈な昇格レースを争う8強体制の構図となっているJ2リーグ。そんな中、第23節で磐田を破ったのが、現在6位につけるモンテディオ山形である。山形はこの勝利で6連勝、ここ10試合で9勝1分と連勝街道を走っており、この直近急浮上の理由や背景を紐解きたい。


アンジェ・ポステコグルー監督(長年に渡ってピーター・クラモフスキー監督が右腕に)写真提供:GettyImages

クラモフスキー監督就任後の意外な攻守バランス

今季の山形は監督交代を経験している。第9節ホームでの長崎戦で1-3と敗れ、1勝4分4敗の勝点7(6得点10失点)となると成績不振で石丸清隆監督が解任となった。佐藤尽コーチが暫定的に指揮して4試合(2勝1分1敗)を繋ぎ、ピーター・クラモフスキー現監督にバトンが渡されている。そのクラモフスキー監督就任後が10戦9勝1分無敗なのである。

石丸前監督体制時から失点が少ない山形だったが、クラモフスキー監督体制に移行後も10試合で僅かに4失点。表向きはその堅守をべースに、得点が増えたことがV字回復の要因と言えよう。

「サッカーは寸足らずの毛布だ」とは、ブラジル代表の往年の名手ジジによる格言である。ジジは「枯葉」と称されたブレ球(無回転球)で落ちるフリーキックを武器に1958年のスウェーデンW杯優勝を成し遂げた。「足下にかければ上半身が寒い、頭からかぶると足が出る」とは、つまり、攻撃的に行けば得点は増えても失点は増える。その逆も然りであり、攻撃と守備のバランスが大事なのだ、という例えである。守備的なチームが攻撃的な戦術を用いてバランスを失う例は、よく目にする“サッカーあるある”のひとつだろう。

クラモフスキー監督は、今夏からスコットランドの強豪セルティックを指揮する“攻撃サッカーの信奉者”アンジュ・ポステコグルー監督の下で長年に渡ってコーチを務めてきた。2019年にはポステコグルー監督の右腕となるヘッドコーチとして横浜F・マリノスでJ1リーグ優勝に携わっている。そして翌2020シーズンよりJ1清水エスパルスの監督に就任したが、その攻撃的に過ぎるリスキーなスタイルで攻守のバランスが整わず、指揮を執った25試合で3勝5分17敗、勝点14で18チーム中17位。1シーズンもたずに解任されている。

こうしたクラモフスキー監督のキャリアを踏まえると、山形の指揮官に就任して未だ3カ月も経っていない中「得点を増やして、失点を減らす」という全世界の指揮官が追い求める究極のバランスを見出しているのは、かなり意外である。

石丸監督体制時と比較し、クラモフスキー監督就任後の最も大きな変化となったのは、攻撃回数が大幅に下がったことである。しかしながら、山形の1試合平均の攻撃回数は現在でもJ2の22チーム中トップをいく。

攻撃回数が多いことは、攻撃と守備が切り替わる回数が多いことを意味する。プレー強度の高さを示しているとも言える。石丸監督体制時から山形はボールを奪われてから奪い返すプレッシングの連動や強度が高く、奪ってから一気にゴールへと向かうショートカウンターを武器にしていた。

ただ、ボールを奪い返す回数が多いことは、ボールを失っている回数が多いことも意味する。クラモフスキー監督体制移行後に攻撃回数が大幅に減り、パス本数が増えてボール支配率が微減しているのは、簡単に相手へボールを渡さなくなった点が大きいと言える。

サイド攻撃において、FWの足下へ付けるクサビのパス(縦パス)を使って相手の陣形を中央に収縮させ、効果的にサイドを使えていることも奏功している。ボールの出入りが激しく、ややせわしなかった戦い方から、攻守に渡ってメリハリや抑揚が生まれた。それがクラモフスキー監督による手腕として挙げられる。

とはいえ、攻守の切り替えの速さやアグレッシブさに関しては、石丸前監督体制時からしっかりとした土台が構築されていた。クラモフスキー監督が上手く踏襲したことは事実だが、クラブの発展性や歴史も踏まえた強化方針が奏功したと言えるのではないだろうか。

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