2020年7月21日(日本時間)に行われたセリエA第34節ユベントス対ラツィオ。この一戦はビアンコネーリ(ユベントスの愛称)のFWクリスティアーノ・ロナウドにとって、とても喜ばしい試合となった。
彼は48分にPKを決め、ユベントスに先制点をもたらした。そして54分にも追加点を挙げたことで、ラツィオのイタリア代表FWチーロ・インモービレに並び、30ゴールで得点ランキング1位タイに浮上した。
さらにこの得点で、セリエAでの通算得点数も51となり、リーガとプレミアリーグを含めた3大リーグで50得点以上を記録した史上初の選手となった。
今シーズンのセリエA得点王は誰になるだろう。その結果を待ち望みつつ、これまでロナウドと同リーグに所属しながら得点王となった選手を見てみよう。
サブローザ
2002/2003シーズン。17歳のロナウドはポルトガルのスポルティングCPでデビューし、25試合出場3得点で、プロの世界に一歩足を踏み入れた。
そのシーズン、プリメイラ・リーガの得点王に輝いたのは、18得点を挙げたベンフィカのシモン・サブローザだ。
サブローザは1999/2000シーズンにスペインのバルセロナでプレーしたこともあったが、チームの戦術にうまく対応できず、ポルトガルに帰国していた。
その経験は無駄ではなく、スペインでルイス・フィーゴやリバウドのようなスーパースターと共にプレーしたことが彼の成長につながった。
得点王となったシーズンを含め、2001年から2007年にかけてベンフィカで172試合出場76得点と、大きな功績を挙げた。その後、再び海外で挑戦することを決意し、アトレティコ・マドリードやエスパニョールなどに移籍している。
アンリ
2003年8月13日、ロナウドはプレミアリーグのマンチェスター・ユナイテッドに移籍し、アレックス・ファーガソン監督の元でプレーを始めた。その頃のロナウドは技術的な才能を開花させてはいたが、得点王になるほどの選手ではなかった。
仮にその時期多くのゴールを決めていたとしても、当時(1999-2007)アーセナルに所属していたティエリ・アンリの得点数を超えることは難しかっただろう。
アンリは3シーズン連続(2003/2004年・30得点、2004/2005年・25得点、2005/2006年・27得点)で得点王となり、2回ゴールデンシュー(ヨーロッパ各国サッカーリーグの選手のうち、シーズンで最も多くの得点を挙げた選手に与えられる賞)を手に入れている。
一方、ロナウドは上記のそれぞれのシーズンで、4得点、5得点、9得点を挙げた。ゴール数はまだ少なかったものの、数字がシーズン毎に上がりつつあった。
ドログバ
2006/2007シーズン。ロナウドは17ゴールを挙げ、一気にストライカーらしい活躍を見せる。しかし、このシーズンも彼を上回る人物がいた。それは当時(2004-2012)チェルシーに所属していたFWディディエ・ドログバだ。
前シーズンでプレミアリーグ2連覇を果たしていたジョゼ・モウリーニョ監督率いるチェルシーは、多くの怪我人がいたことによって、いつものプレーができなかった。
しかし、ドログバはその厳しい状況の中でもエースらしい活躍をし、20得点を挙げたことでブルーズ(チェルシーの愛称)をランキング2位にまで引き上げた。
同シーズン、ロナウドは初めて得点王に近づけるほどのパフォーマンスを見せた。そして、次の2007/2008シーズンに31得点を挙げ、初の得点王の座についたのだった。
アネルカ
2008/2009シーズン。ロナウドはサポーターをドキドキさせる多くのプレーを見せたものの、得点の数は前のシーズンと比べ減少。しかし周囲の選手の得点も少なかったため、わずか18ゴールで得点王2連覇にリーチがかかっていた。
そんな中、彼より1得点多く獲得した(19得点)選手がいる。それは当時(2008-2012)チェルシーに所属していたFWニコラ・アネルカだ。彼が得点王のタイトルを獲得したのはこの一度きりだった。
このシーズン終了後、ロナウドはイングランドを離れ、スペインのレアル・マドリードに移籍した。彼の永遠のライバル、FWリオネル・メッシとの対決が始まろうとしていた…。
コメントランキング