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サッカー史に残る実力者なのにW杯に届かなかった名選手5選【外国人編】

ジョージ・ウェア 写真:アフロスポーツ

ジョージ・ウェア(リベリア代表)

アフリカ人初のバロンドール受賞者。もし出ていれば活躍必至だったが…

“リベリアの怪人”の異名を取ったFWジョージ・ウェアは、ASモナコ(1988-1992)、パリ・サンジェルマン(1992-1995)を経て、1995/96シーズンにセリエAのミランに加入。初年度から2桁得点2桁アシストの活躍を見せ、アフリカ人として初のバロンドールに加え、FIFA(国際サッカー連盟)選出の世界年間最優秀選手賞、自身3度目のアフリカ年間最優秀選手賞を受賞した。

そんなウェアのW杯不出場は、リベリア代表の国際競争力の低さが原因だ。リベリアは1847年に独立を果たし、アフリカではエチオピアに次ぐ歴史がある国家だが、長く続いた内戦や感染症などの影響で、国連から「世界最貧国」に指定されている。未だにW杯本大会出場経験はなく、ウェアの現役期間中、2度(1996年、2002年)のアフリカネーションズカップ出場(いずれもグループリーグ敗退)が数少ない国際舞台だった。

特に2002年日韓大会アフリカ予選では、ナイジェリアに勝ち点1差及ばず惜しくも敗退。この時はウェアが選手・主将・監督・財務面での自費負担・広報の5役を兼任し、チームをまとめていた。ウェアは引退後、政界に進出し、2018年に第25代リベリア大統領に就任。2023年11月の大統領選挙でジョセフ・ボアカイに敗北し、政権を譲っている。

W杯出場の夢は、息子であるFWティモシー・ウェア(当時LOSCリール/現オリンピック・マルセイユ)に託され、アメリカ代表を選択したティモシーは、2022年カタール大会に出場。得点も記録し、父が叶えられなかった夢を実現させた。


ライアン・ギグス(ウェールズ代表)

“ジョージ・ベストの再来”の異名を取ったウインガー

マンチェスター・ユナイテッドで一時代を築いたウインガー、MFライアン・ギグスのW杯不出場は、ウェールズ代表の欧州予選の苦戦によるものだ。1991年から2007年までウェールズ代表で活躍し64キャップ12得点を記録したが、1958年スウェーデン大会以来の本大会出場はならなかった。

ウェールズのW杯出場は1958年スウェーデン大会と2022年カタール大会の2回のみで、ギグスのキャリア全盛期と重ならなかった。2006年ドイツ大会の欧州予選ではアゼルバイジャン代表戦で2得点を挙げるなど貢献したものの、惜しくもプレーオフ進出を逃した。マンUで13回ものプレミアリーグ優勝を果たした一方、W杯でその切れ味抜群のドリブルを披露することは叶わなかった。


エリック・カントナ(フランス代表)

マンチェスター・ユナイテッドを変えたカリスマ

低迷期にあったマンチェスター・ユナイテッド(1992-1997)に加入し、1992年に創設された「プレミアリーグ」の初代王者に導いたFWエリック・カントナのW杯不出場は、1994年アメリカ大会欧州予選において、残り2戦(イスラエル代表戦とブルガリア代表戦)で勝ち点1さえ取れれば突破という圧倒的優位にありながら、まさかの連敗。特にブルガリア代表戦では、終了間際に逆転ゴールを浴び、”パリの悲劇”として記憶されている。

エメ・ジャケが新監督に就任後もカントナは代表に招集され、主将に指名された。しかし1995年1月、セルハースト・パークでのクリスタル・パレス戦で、野次った観客を蹴り上げるという前代未聞の事件(いわゆる「カンフーキック事件」)を起こすなど、問題行動は直らなかった。このことが、ジャケ監督が当時ボルドーで活躍し伸び盛りの若手だったMFジネディーヌ・ジダン中心のチーム作りに方針転換するきっかけとなった。

その後、カントナは代表から事実上離脱し、1997年に代表引退を表明。自国開催の1998年大会ではフランスが初優勝したが、カントナは既に引退していた。2015年のインタビューでカントナは「代表に残っていれば1998年まで現役を続けていた」と語っている。クラブでのカリスマ性と実績に比べて、代表でのタイミングの悪さと本人の素行の悪さがW杯出場の夢を阻んだ。


これら5選手のW杯に出られなかった理由は、国籍、代表チームの成績、タイミング、ケガ、本人の意識の低さなど多岐にわたる。所属クラブでの成功が、それぞれの能力を証明している一方で、W杯は国の代表であるが故、総合的な競技力に強く依存することを示している。彼らのような名選手が国際舞台の頂点に立てなかった事実は、サッカーの予測不能性を象徴するエピソードとして今も語り継がれている。

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名前:寺島武志

趣味:サッカー観戦(Jリーグ、欧州5大リーグ、欧州CL・EL)、映画鑑賞、ドラマ考察、野球観戦(巨人ファン、高校野球、東京六大学野球)、サッカー観戦を伴う旅行、スポーツバー巡り、競馬
好きなチーム:Jリーグでは清水エスパルス、福島ユナイテッドFC、欧州では「銀河系軍団(ロス・ガラクティコス)」と呼ばれた2000-06頃のレアルマドリード、当時37歳のカルロ・アンチェロッティを新監督に迎え、エンリコ・キエーザ、エルナン・クレスポ、リリアン・テュラム、ジャンフランコ・ゾラ、ファビオ・カンナヴァーロ、ジャンルイジ・ブッフォンらを擁した1996-97のパルマ

新卒で、UFO・宇宙人・ネッシー・カッパが1面を飾る某スポーツ新聞社に入社し、約24年在籍。その間、池袋コミュニティ・カレッジ主催の「後藤健生のサッカーライター養成講座」を受講。独立後は、映画・ドラマのレビューサイトなど、数社で執筆。
1993年のクラブ創設時からの清水エスパルスサポーター。1995年2月、サンプドリアvsユベントスを生観戦し、欧州サッカーにもハマる。以降、毎年渡欧し、訪れたスタジアムは50以上。ワールドカップは1998年フランス大会、2002年日韓大会、2018年ロシア大会、2022年カタール大会を現地観戦。2018年、2022年は日本代表のラウンド16敗退を見届け、未だ日本代表がワールドカップで勝った試合をこの目で見たこと無し。
“サッカーは究極のエンタメ”を信条に、清濁併せ吞む気概も持ちつつ、読者の皆様の関心に応える記事をお届けしていきたいと考えております。

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