柏レイソル 日本代表

元柏レイソル監督ネルシーニョ激白!幻の日本代表監督就任の裏側「日本の“コネ”」

ネルシーニョ氏 写真:アフロスポーツ

 柏レイソル、ヴィッセル神戸、名古屋グランパス、ヴェルディ川崎元監督のネルシーニョ氏が、幻に終わった日本代表監督就任の裏側を告白。日本独特の人間関係である“コネ”が影響していた可能性を明かした。

 日本人選手の情報に詳しい海外メディア『Jリーグインサイダー』のYouTubeチャンネルでは、6日にネルシーニョ氏との対談動画が公開。ネルシーニョ氏によれば、日本サッカー協会(JFA)から正式オファーを受けたのは1995年。当時はすでにシーズン終了後の就任に向けて話し合いが進んでおり、東京の日本サッカー協会本部で合意に至っていたという。

 「実際、11月にオファーが届いていた。シーズン終了後にはほぼ話はまとまっていた。JFA本部で、私が日本代表監督になることで合意していた」と同氏は回想する。さらにJFA幹部からは「あなたが日本代表監督です。公式発表は11月22日に行います」と伝えられていたという。

 しかし、その発表は実現しなかった。ネルシーニョ氏は「日本では、同じ大学だったとか、同じ学部だったとか、それだけで強い関係性ができる文化がある。新しい監督は当時の会長より年上でベテランだった。だからリスペクトされていた」と、日本独特の人間関係が決断に影響した可能性を指摘する。

 さらに同氏は、当時の川淵三郎Jリーグチェアマンが自身の就任を後押ししていたとも明かした。一方で、最終決定権を持つ日本サッカー協会側の判断によって、就任は阻止されたという。

 「川淵三郎チェアマンは私を日本代表監督にしたかった。しかし代表を管轄しているのはJFAだ。つまりJFAの会長が私の就任を止めた」

 この一連の出来事は、当時「ネルシーニョ問題」として大きな話題となった。1998年フランスW杯に向けた強化の一環として、JFA強化委員会は同氏を次期日本代表監督の最有力候補として交渉。年俸1億円規模とも言われる契約が最終段階まで進んでいたが、最終的に当時の代表監督だった加茂周氏の続投が突如決まり、就任は白紙となった。突然の方針転換に対し、ネルシーニョ氏は強い不信感を抱いたとされ、後に当時の協会幹部を「腐ったミカン」と批判した発言も報じられている。