その他 ALL

サッカーの5つの背番号の意味と代表選手に原点回帰

クリスティアーノ・ロナウドの背番号 写真:Getty Images

サッカーに背番号が導入されたのは、1928年のイングランドリーグが起源とされている。選手からは「ユニフォームに込められたチームカラーを汚す」と抵抗されたが、観客が選手を識別しやすくするという観点から導入され、ポジティブな反応だったことから本格導入に至った。

当時は先発メンバーが1番から11番を背負い、ゴールキーパーから順にポジションが前に行くに従って番号が大きくなるよう設定された。【2-3-5】のVフォーメーションが一般的だったため、ゴールキーパーの1番、センターフォワードの9番、左ウイングの11番以外は、現在の印象とは異なるポジションの選手が背負っていた。さらに試合ごとに背番号が異なる「変動背番号制」が採用されていた。

「固定背番号制」が導入されたのはプレミアリーグが1993/94シーズンから、ブンデスリーガが1994/95シーズンから、セリエAとラ・リーガが1995/96シーズンから、リーグ・アンが1996/97シーズンからで、Jリーグでも1997シーズンからのこと。それ以前の1994シーズン、ベンチスタートだった引退直前の鹿島アントラーズMFジーコ(1994年引退)が、「10」以外の背番号を着ける姿を見せたくないと頑なにベンチコートを脱がなかった逸話も残されている。

現在はJリーグでも2023シーズンから、1番はゴールキーパー、2~11番はフィールドプレーヤー、12~99番はポジション無関係という取り決めとなった。その中から「99」などといったいささか違和感のある数字を選択する選手も増加傾向にある。「個性」と言われてしまえばそれまでだが、そんな時代だからこそ、背番号本来の意味や、それらのイメージを決定付けた名プレーヤーとともに振り返り、原点回帰してみたい。


ディエゴ・マラドーナ 写真:Getty Images

背番号10:創造性とリーダーシップの象徴

背番号「10」は、サッカーで最も神聖な番号とされ、トップ下から攻撃を牽引する創造的なゲームメーカーに与えられる数字だ。『キャプテン翼』の主人公・大空翼も南葛中、サンパウロ、日本代表を通じて「10」を背負い、バルセロナに移籍すると10番が空いていなかったため「2+8」を着けた。パスやドリブルでゲームを作り、ゴールも決める「マエストロ」の象徴である。

その始祖といえる存在は、1950年から70年代に掛けて、サントス、そしてブラジル代表を3度のFIFAワールドカップ(W杯)優勝(1958年スウェーデン大会、1962年チリ大会、1970年メキシコ大会)に導いたMFペレ(2022年死去)だろう。彼が背番号10を世界的なアイコンにし、「サッカーの王様」のシンボルとなった。

それに続く存在が、アルゼンチン代表を1986年W杯メキシコ大会で優勝に導いたMFディエゴ・マラドーナ(2020年死去)。縦横無尽なドリブルと予測不能なプレーで、ナポリをセリエA初制覇に導き、W杯でのイングランド戦では「神の手」と「5人抜き」で伝説となった。彼が背負う10番は、情熱と反骨精神を映し出している。

欧州に目を移すと、フランス代表MFミシェル・プラティニ(1987年引退)の名が挙がる。セリエAユベントスでは3年連続得点王、フランス代表を1984年のUEFA欧州選手権優勝に導き「将軍」の異名を取った。エレガントなゲームメイクと正確無比なフリーキックが特徴で、その10番は知性と芸術性を象徴している。

10番は攻撃の核としてクラブや代表で特別な選手に託され、ペレからジーコ、マラドーナ、プラティニ、さらにはMFジネディーヌ・ジダン(2006年引退)、FWリオネル・メッシ(インテル・マイアミ)へと受け継がれ、ファンタジスタの象徴として観客を魅了し続ける“義務”を背負っているのだ。


ジョージ・ベスト 写真:Getty Images

背番号7:スピードと決断力でチームを勝たせる名手

背番号「7」は、ウインガーや攻撃的MFに与えられ、スピードの乗ったドリブルやゴールで試合を決める選手の番号だ。また、カリスマ性を帯びている選手が多いのも特徴だ。

その筆頭が1960-70年代のマンチェスター・ユナイテッド黄金時代を支えた名ドリブラーで、北アイルランド代表MFのジョージ・ベスト(2005年死去)だろう。「5人目のビートルズ」と称されるアイドルで、華麗なドリブルとゴール感覚でユナイテッドを1967/68シーズンのUEFAチャンピオンズカップで初優勝に導き、バロンドールにも選ばれた。

一方、ベストはお世辞にもお行儀の良い選手ではなく、度重なるレフェリーへの悪態で出場停止処分や罰金処分を受け、私生活でもアルコール依存症やギャンブル依存症に苦しんだ。それは引退後も続き、2005年、59歳の若さでこの世を去った。彼の7番は反逆児的な魅力と結び付いている。

その後、ユナイテッドではFWエリック・カントナ(1992-1997)、MFデビット・ベッカム(1992-2003)、FWクリスティアーノ・ロナウド(2021-2022)といった世界的名選手がこの背番号を身に付けた。現在は、今年5月4日のブレントフォード戦で、負傷から復帰後初ゴールを挙げて復活を印象付けたイングランド代表MFメイソン・マウント(2023-)が付けている。

同じプレミアリーグでは、リバプールで活躍したスコットランド代表MFケニー・ダルグリッシュ(1977-1989)も印象的だ。7番を背負い、鋭い動きとゴールで3度の欧州チャンピオンズカップ制覇に貢献。1985/86シーズンには選手権監督に就任し、同クラブ初となるリーグとFAカップの2冠に導いた。

7番を付ける選手は個性派やゲームチェンジャーが多い。ベスト、ベッカム、ロナウドのみならず、元ポルトガル代表MFルイス・フィーゴ(2009年引退)や元日本代表MF中田英寿(2006年引退)ら、カリスマ性があり観客を沸かせる「ヒーロー」の番号と言っていいだろう。

Previous
ページ 1 / 2

名前:寺島武志

趣味:サッカー観戦(Jリーグ、欧州5大リーグ、欧州CL・EL)、映画鑑賞、ドラマ考察、野球観戦(巨人ファン、高校野球、東京六大学野球)、サッカー観戦を伴う旅行、スポーツバー巡り、競馬
好きなチーム:Jリーグでは清水エスパルス、福島ユナイテッドFC、欧州では「銀河系軍団(ロス・ガラクティコス)」と呼ばれた2000-06頃のレアルマドリード、当時37歳のカルロ・アンチェロッティを新監督に迎え、エンリコ・キエーザ、エルナン・クレスポ、リリアン・テュラム、ジャンフランコ・ゾラ、ファビオ・カンナヴァーロ、ジャンルイジ・ブッフォンらを擁した1996-97のパルマ

新卒で、UFO・宇宙人・ネッシー・カッパが1面を飾る某スポーツ新聞社に入社し、約24年在籍。その間、池袋コミュニティ・カレッジ主催の「後藤健生のサッカーライター養成講座」を受講。独立後は、映画・ドラマのレビューサイトなど、数社で執筆。
1993年のクラブ創設時からの清水エスパルスサポーター。1995年2月、サンプドリアvsユベントスを生観戦し、欧州サッカーにもハマる。以降、毎年渡欧し、訪れたスタジアムは50以上。ワールドカップは1998年フランス大会、2002年日韓大会、2018年ロシア大会、2022年カタール大会を現地観戦。2018年、2022年は日本代表のラウンド16敗退を見届け、未だ日本代表がワールドカップで勝った試合をこの目で見たこと無し。
“サッカーは究極のエンタメ”を信条に、清濁併せ吞む気概も持ちつつ、読者の皆様の関心に応える記事をお届けしていきたいと考えております。

筆者記事一覧