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あなたはどう思う?フーリガニズムはサッカー文化なのか

イングランド代表サポーター 写真:Getty Images

10月1日、インドネシアのサッカーリーグの試合後に惨事が起きた。ホームのアレマFCが、地元で23年間負けたことのない相手に敗戦するとサポーターが一部暴徒化。警察は催涙ガスを使用すると観客が出入り口に殺到して窒息死するなどし、131名以上が死亡300名以上が負傷とされ、現在真相究明が行われている。

サッカーの応援に当たり、自分達がサポートするクラブに勝ってほしい!負けた!悔しい!などという感情が度を超えると、サポーター同士の罵り合いや暴動、酷い場合は重大な事件にまで発展する。このような行動は「フーリガニズム」と呼ばれ、この言葉は特に1970年代頃のイギリスで大流行した。

今もなおフーリガニズムは途絶えることなく生き続け、その余波はサポーターのみならずサッカークラブそのものにも多大な影響を与えている。これは伝統的なサッカー文化の1つと言えるのだろうか?


80年代 リバプールのフーリガン 写真:Getty Images

フーリガニズム誕生の起源

フーリガニズムが誕生したのはイギリスと言われているが、他の国という諸説も存在する。イギリスの場合を少し紹介しよう。

1950年代後半のイギリスでは「ギャング」などと呼ばれていた若者文化が注目を集め始めていた。日本でいうところの「バブル時代」にやや似ている雰囲気で、特に若年層がより多くのお金を使えるようになり、自身の個性や思考を周囲に表現することが主流の時代だった。

この時代に突入する以前は、労働者階級の10代の子供達は両親や年配サポーターと観戦をするのが当たり前の光景だったのだが、ギャング文化の影響で「サッカー観戦は同じ年齢同士でするものだ」と、グループ分けをするようになる。サッカースタジアムで応援歌を唄う際にも、若者と年配者の区別をつけるようになっていった。

このグループ分けの動きが、その後のフーリガニズムを生み出す。1970年代頃にはサポーターの縄張り意識や対抗心などが顕著になり、そのような行為をするサポーターを「フーリガン」と呼ぶようになった。また、その頃からフーリガン達の行動を表現する言葉「フーリガニズム」が誕生したとされている。

サッカー文化は、皆で楽しむものから大きな派閥をつくり出す争いの場へと徐々に移り変わっていった。次第に少し裕福な労働階級者や中流階級者達は、自宅でくつろぎながらテレビでサッカー観戦をするようになり、直接スタジアムで観戦する人々は減少。イギリスのフーリガンは国外へも進出し、各国のメディアが珍しい物みたさに彼らを報道。それを試聴した人々が模倣するようにもなっていった。

その後1980年代にかけてはイギリス国内でフーリガニズムが主流となり、それまで献身的だったサポーターもフーリガンの部族的な活動を敬遠し、やむなくサッカーから離れていった。当時のフーリガン達の行動の1つに、衣服でクラブに敬意を示すという方法が存在する。この名残が、現代のイギリスでも「試合に敗れた翌日は黒い服を着る」というサポーターの行動につながっている。

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名前:Molly Chiba
趣味:自然散策、英国のあれやこれやをひたすら考えること
好きなチーム:トッテナム・ホットスパーFC

東北地方の田園に囲まれ育ちました。英国のフットボール文化や歴史、そして羊飼いやウールなどのファッション産業などに取り憑き、没入している日本人女性です。仕事のモットーは、伝統文化を次世代に繋ぐこと。

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