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神戸FWボージャンは「メッシの後継者」ではない!エトオが認めたバルサ9番の軌跡

ストーク・シティ時代のボージャン・クルキッチ 写真提供:Gettyimages

バルサ退団後の苦悩、ハイライトはストーク時代

2011年夏、ボージャンは当時バルサBを率いていたルイス・エンリケ監督を招聘したイタリアの名門ローマへ完全移籍。33試合で7ゴールとまずまずの結果を残したかに見えるが、リーグでの先発出場は13試合に限られた。翌シーズンにはミランでもプレーしたが、イタリアでの2年間では成功を収められなかった。

ローマではパスサッカーへのスタイル転換と重鎮フランチェスコ・トッティの衰えによる「改革の旗手」とされ、ミランではPSGに放出したイブラヒモビッチの代役として期待されたボージャン。異国の地でプレーし始めた当時21、2歳の彼にとっては大きな重圧だったであろう。しかし22歳にしてバルセロナ、ローマ、ミランでプレーする選手など他にいるのだろうか?

その後ボージャンは、オランダの強豪アヤックスを経て、2014年の夏から加入したイングランド・プレミアリーグに所属する中堅クラブのストーク・シティで、オーストリア代表FWマルコ・アルナウトビッチ(現ボローニャ)やスイス代表MFジェルダン・シャチリ(現リバプール)ら自身と同じくビッグクラブで地位を確立できなかったタレントを操り、中心選手としてプレーした。

スペースが少ないイタリアでのプレーから学んだボージャンは、「9.5番」のような2列目をメインエリアにしていた。得意のドリブルシュートや中央でのパスワークにも固執しなくなっていた。点取り屋として裏への抜け出しを狙うよりも、相手DFラインと中盤の間で縦パスを引き出してボールを収め、両足でのミドルシュートの精度も上がっていた。そして、シンプルにサイドへ展開し、自らがゴール前で合わせるような味方を活かす司令塔のようなプレースタイルに変貌を遂げ、やっと「自分の耀ける場所」を見つけたのだった。ストークもボージャン加入前年からクラブ史上最高位の3年連続9位と躍進していた。

最初の2年半で52試合に出場して14ゴールを挙げたボージャンだったが、怪我の多さもあって主力から外れていく。チームも低迷し始め、レンタル移籍でストークを離れた。ドイツのマインツで半年、スペインのアラベスで1年プレーするも、それほどの活躍は見せられず。2018年の夏にストークへ復帰した時、チームは2部に降格していた。2019年の夏からプレーしたMLSではストーク時代に似たプレーをしていただけに「あの時ストークで、ボージャンもチームも監督ももう少し辛抱強く一緒にやっていたら…」と思ってしまうサッカーファンは多いはずだ。


パワーやフィジカルをテクニックが凌ぐ

ボージャンのデビュー当時から見て来た筆者が考えるには、彼のキャリアのハイライトはバルサ時代ではなく、ストーク時代の最初の2年間と言えるだろう。神戸ではそれ以上の活躍を披露できるか?最近は中盤をダイヤモンド型に配置した[4-3-1-2]や[3-5-2]をメインシステムに据える神戸では、大迫の相棒役か、3トップ採用時の左ウイングで起用されることが予想される。

現在J1で暫定4位の神戸だが、3位のサガン鳥栖とは勝点44で並び、なおかつ神戸は1試合消化が少ない。すでに天皇杯で敗退した神戸にとっては来季のAFCチャンピオンズリーグ(ACL)出場権が与えられる3位以内の確保は至上命題である。ボージャンへの期待は大きいが、彼の波乱万丈なキャリアの中ではプレッシャーにもならないだろう。

「パワーやフィジカルをテクニックが凌ぐんだよ」と、日本人が最も惹かれるようなことを言葉にしていた元スペイン代表ボージャンは、イタリアやイングランドでそのキャリアを通じて証明しようとしてきた。そして、その続きを大先輩のアンドレス・イニエスタと共にJリーグで披露してくれる。これ以上の楽しみはないだろう。

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