Jリーグ 鹿児島ユナイテッド

J3鹿児島ユナイテッドに訪れた転機。上野新監督に期待されるレノファの再現!

2017年5月J3、鹿児島ユナイテッドFW藤本憲明と長野パルセイロGK阿部伸行が勝負 写真提供:Gettyimages

2年連続J3得点王!異能のストライカー藤本憲明の存在

4度の監督交代を経ても、チームとしてのプレースタイルが変わらない鹿児島。サッカーは個では勝てなくても組織で対抗できる楽しみ方があるが、異能のストライカーであるFW藤本憲明(現ヴィッセル神戸)の存在抜きでは語れない。

藤本は近畿大学を卒業後、JリーガーにはなれずにJFLの佐川印刷京都SCでプレー。26歳となった2015シーズン限りでチームの解散が決まり、翌シーズンにJ3へ初昇格する鹿児島への加入を決めた。鹿児島加入後の藤本は誰よりも貪欲にゴールを求め、2016年は15ゴール、2017年は24ゴールで2年連続J3得点王を獲得。社会人サッカー出身だけに守備でも献身的にプレーできる藤本だが、今夏にJ2京都サンガに引き抜かれた福島FWオリグバッジョ・イスマイラのようなドリブル突破などで相手DFを抜き去る個の能力では劣る。だからこそ、大卒後にJリーガーになれなかったのだろう。

しかし鹿児島にはクラブ主導で根付いたスタイルがあり、チーム全体がチャンスを創出してくれる。藤本は相手DFラインとの駆け引きで裏を取ったり、クロスからのシュートなど、ゴール前でその才能を発揮して得点を量産した。浅野哲也監督と三浦泰年監督の下、鹿児島でエースストライカーとして実績を残した後、2018年からJ2大分トリニータへ移籍。移籍後も得点を量産して大分のJ1昇格に貢献し、J1の舞台でも一世を風靡する活躍を見せると、現在はより良い条件である神戸でプレー。2020年の元日には、こけら落としとなった新国立競技場での得点者第1号となり、神戸のクラブ史上初タイトルとなる天皇杯優勝にも貢献している。

そんな異能の点取り屋を持ってしてもJ2昇格を逃していた鹿児島だったが、意外にも藤本が去った直後の2018年にJ3で2位となり見事にJ2昇格を勝ち取るのだった。昇格を決めたホーム最終戦のゴール裏スタンドに、当時は大分でプレーしていた藤本の姿があったことが話題になった。

J2昇格を決めた2018シーズンの鹿児島は全32試合で46得点を挙げ、チーム最多はMF吉井孝輔とFWキリノの5ゴール。しかし2014年に1度現役を退いている吉井は改めてこのシーズン限りで引退し、33歳になっていたFWキリノも途中出場が多くなり同年限りでチームを去った。鹿児島は、得点源がいなければ誰が出ても得点できる攻撃にも切り替えられることを証明して、J2昇格を勝ち取ったのである。

鹿児島ユナイテッドFC「スタッツに見えるブレないスタイル」作成:筆者

クラブ主導のブレないスタイル

藤本が去っても得点力やチーム力が落ちずに安定した戦いができたのは、クラブ主導のブレないプレースタイルがあるからである。それは上記のスタッツにも表れている。

鹿児島はJ2に昇格し、1年で降格を喫した2019シーズンも含めてボール保持率が1度も50%を割っていない。そして、ボールを繋いでしっかりとペナルティエリア(PA)まで侵入していけるスタイルを継続している。だからこそ藤本の決定力が活きたわけだが、藤本退団後にJ2昇格を決めたように、得点パターンはその時のチーム編成によって変化している。

今季の鹿児島ではクラブ史上初めてシーズン途中に監督交代が起きた。昨季まで横浜F・マリノスでアンジュ・ポステコグルー監督のコーチを務めたアーサー・パパス氏を指揮官として迎えるも、同氏が家庭の事情で5月28日に退任。その後、1カ月以上に渡って大島康明ヘッドコーチが暫定監督としてチームを指揮した(パパス氏は母国豪州のニューカッスル・ジェッツの監督に就任)。

大島暫定監督がチームを束ねていたとはいえ、暫定政権は選手たちやチームの“素”の部分が出る。面白いことに“素”で戦った結果、ボール支配率やパス本数はリーグトップの数値を叩き出し、PA内へ進入できる攻撃も仕掛けることができていた。鹿児島が貫いてきたスタイルは“素”になったことで先鋭化されたようだ。

パパス体制下では7戦2勝2分3敗、大島体制移行後は6戦3勝1分2敗。やや盛り返し、順位も15チーム中の9位というタイミングの7月4日、上野展裕氏の新監督就任が決まった。歴代の浅野氏や三浦氏、金鍾成氏に続き、ポゼッションサッカーの流れを汲む監督人事である。また、縦志向の攻撃色も監督人事と共に強まって来ている。

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