サンフレッチェ広島での名監督ぶり
森保監督は、2012年から2017年7月までサンフレッチェ広島を率いていた。J1リーグではそれまで中堅の一角だったチームを、6シーズンで3度の優勝に導き手腕が非常に高く評価されるようになった。資金力に優れたクラブでなくともJ1を制することができる。それを実際に示した森保監督率いる広島は、地方クラブに間違いなく大きな希望を与えた。
その反面、終焉の時はあっけなく訪れている。2015年の優勝を最後に広島は低迷しはじめ、2016年は6位、2017年にはシーズンの半分となる17試合を終え17位。そして成績不振のために、森保監督の退任が発表された。毎年のように主力選手を引き抜かれるという難しさがあったにせよ、メンバーをある程度固定し戦っていたことも、急速に順位を落としていった理由の1つだろう。
ただし、これはやむを得ないものだったとも言える。限られた戦力で優勝を達成するには、ある程度メンバーを固定しながら早期に戦術の浸透を図るのが合理的だ。チーム全体の底上げと引き換えに、3度ものJ1優勝を手にしたのだからその選択は間違いではない。Jリーグでの勝利が最重要視されるクラブチームにおいて、やはり森保監督は名監督だった。
日本代表監督に求められるものは
日本代表の監督としては、森保監督のこのメンバー固定こそが批判の要因となっている。代表監督とクラブ監督の違いとして、森保監督に欠けていると思われる資質をまとめてみよう。
代表はクラブチームのように限られた戦力でやりくりする必要はなく、日本人選手全てから選ぶことが可能。サポーターは誰が選出されるかに注目し、新たなヒーローの出現を心待ちにしているのだ。つまりまず代表監督には、結果だけでなく、どれだけ多くの選手を試しどれだけ特徴を発揮させられるかが求められている。
その点「クラブチームの名監督」の森保監督が、その期待に応えることは難しい。
もう1つ、代表人気が高かった頃を思い出すと大切な要素がみえてくる。トルシエジャパン(1998-2002)では「フラット3」、オフトジャパンでは「アイコンタクト」に「トライアングル」。そして絶大な人気を誇ったオシムジャパンには「ボールも人も走るサッカー」など、それぞれに明確なキーワードが存在した。イビチャ・オシム監督の人生をまとめた本『オシムの言葉』は累計100万部近くを売り上げており、監督自体の人気が抜群だった。
その点、森保監督は良くも悪くも地味だ。メディアがこぞって取り上げるような、個性的なキーワードは存在しない。
昇格や降格がかかったJリーグでは、結果がなにより重要だ。だが日本代表はファン層がやや異なり、スタジアムにはある種、お祭りのような雰囲気が漂う。そのなかで監督には、人気者を次々と生み出し個性的なコメントで会場を沸かせ、お祭りを盛り上げることも求められている。
結果を出しながらも批判され人気が低迷する。その最大の要因は、森保監督が日本代表監督ならではの上述の役割を果たせていないためなのだ。
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