2021シーズン明治安田生命Jリーグの全日程が終了し、今季限りでの現役引退を選択した選手達が各クラブから発表されている。
ここではJ1、J2、J3リーグの各クラブから引退を表明した選手達を、感謝を込めて2回に分けて紹介していく。
阿部勇樹(J1:浦和レッズ)
日本代表として53試合に出場した阿部勇樹。中でも2010FIFAワールドカップでは、岡田武史監督が本大会直前に採用した4-1-4-1システムのアンカーとして欠かせない存在になり、下馬評を覆しベスト16進出を果たした。その活躍が認められ、イングランド2部チャンピオンシップにいたレスター・シティへ移籍。約1年半でリーグ戦52試合に出場している。
Jリーグではジュニアユース、ユースを経てトップチームへ昇格したジェフユナイテッド市原(2005シーズンよりジェフユナイテッド千葉に呼称変更)で10シーズンプレー。16歳333日という当時のJ1最年少デビュー記録を持ち、2005・2006シーズンにはナビスコ杯(現・ルヴァン杯)2連覇。その後、2007年には国内最高額と言われる移籍金で浦和レッズへ移籍。2007シーズン、2016シーズンにJリーグベストイレブンに選出されるなど、2018シーズンまでレギュラーとして活躍した。最終的に、J1で590試合に出場している。
球際のタフさを持つ守備のユーティリティプレーヤーでフリーキックの精度も高いため、どの舞台でも重宝されてきた。Jリーグでの戦いは終わったが、浦和レッズでの戦いはまだ終わっていない。リカルド・ロドリゲス監督が語るように「阿部勇樹に天皇杯を」の思いを胸に、あと1試合。12月19日の天皇杯決勝戦(対大分)に挑む。
大久保嘉人(J1:セレッソ大阪)
長崎県立国見高校の3年時には高校3冠を達成し、Jクラブの争奪戦の末にセレッソ大阪へ入団した大久保嘉人。セレッソでの活躍を皮切りに、スペイン・リーガエスパニョーラのマジョルカ、ヴィッセル神戸に2度、ドイツ・ブンデスリーガのヴォルフスブルク、川崎フロンターレに2度、FC東京、ジュビロ磐田、東京ヴェルディ、最後は再びセレッソ大阪と数多くのクラブに所属した。
川崎フロンターレでの2013~2015シーズンの3年連続得点王など、歴代最多となるJ1通算191得点を記録している。動き出しの上手さと貪欲さ、強烈なシュートを武器に日本代表でも60試合に出場。上記の阿部勇樹と同じく、2010FIFAワールドカップでは主力としてベスト16進出に大きく貢献している。
12月12日の天皇杯準決勝にスタメンとして出場するも、得点に至らずチームも敗戦。Jリーグ史上最高の点取り屋だったが不思議と、優勝には最後まで縁がなかった。
鳥養祐矢(J2:FC琉球)
ジェフユナイテッド市原・千葉の下部組織出身の鳥養祐矢。トップチームへの昇格はできなかったが、JFLに所属していたアマチュアチームのジェフリザーブズ(2011年で活動停止)で5シーズン、同じくJFLのSAGAWA SHIGA FCで2シーズン、FC琉球(当時JFL)で1シーズンプレー。
攻撃的ないくつかの位置でプレーする彼の転機となったのは、JFLに昇格したばかりだったレノファ山口へと移籍した2014年。主力として全試合に出場しJ3参入に尽力すると、2015シーズンにはキャリア初のJリーグの公式戦に出場。それどころか35試合で8得点を記録し、クラブのJ2昇格に大きく貢献してみせた。翌2016シーズンにはJ2で主力の一角を担い、2017シーズンはキャプテン就任。2018年は左SBとして27試合に出場。2019年の夏にFC琉球へと移籍し、3シーズンを過ごした。
2011年、2015年にはキャリアハイの8得点を挙げ、どちらもチームを昇格に導いている。今季最終節の栃木SC戦での途中出場をもって、16年間のキャリアを終えることとなった。
宇佐美宏和(J3:福島ユナイテッド)
大阪府出身の宇佐美宏和。U-12からU-18までセレッソ大阪の下部組織で育ち、関西大学を経由して栃木SCへ入団した。そこから湘南ベルマーレ、モンテディオ山形、福島ユナイテッドFCに所属。2018シーズンの福島での初戦、ザスパクサツ群馬戦では自らの加入を祝うようにヘディングでゴールを奪っている。
複数の怪我を経験してしまったものの、J1からJ3までを12年間に渡って戦い抜いた。右SBでもCBでもプレーでき、近年は主にCBを務めていた。2021シーズンもCBを中心に、12試合に出場。今季最終節のカマタマーレ讃岐戦での途中出場が、「ちゃみ」の愛称で親しまれた男の現役最後の試合となった。
谷澤達也(J3:藤枝MYFC)
6クラブでプレーした谷澤達也。19年間のキャリアの中で最も多くの方の記憶に残っているのは、2008年の最終節だろう。J1残留のためには勝利が必須だったジェフユナイテッド千葉だったが、FC東京に0-2でリードを許す。極めて厳しい状況で谷澤が投入されると、立て続けにゴールを生み出し2得点1アシストと縦横無尽の活躍。奇跡的な残留の、立役者の1人になったのだった。
スピードと俊敏性を兼ね備え、創造性もあったため柏レイソル、ジェフユナイテッド千葉、FC東京、FC町田ゼルビア、SC相模原、藤枝MYFCと全てのクラブで多くの出場機会を得ている。静岡県出身であるため、「地元のクラブで引退」という思いを叶えることができたことになる。
森島康仁(J3:藤枝MYFC)
「デカモリシ」という愛称で親しまれた森島康仁。188cmの長身を武器に、多くのゴールを決めてきた。U-15時代を過ごしたセレッソ大阪でデビューすると、大分トリニータ、川崎フロンターレ、ジュビロ磐田、テゲバジャーロ宮崎、栃木ウーヴァFC(現・栃木シティFC)、藤枝MYFCでプレー。テゲバジャーロ宮崎と栃木ウーヴァFCでは、地域リーグながら2度の得点王に輝いている。
また、大分トリニータに所属していた2012シーズンにはJ1昇格プレーオフで大活躍。準決勝の京都サンガF.C.戦で4得点を挙げると、決勝のジェフユナイテッド千葉戦では押される展開で林文統の決勝ゴールをアシスト。J1昇格に導いた。なお、今後は静岡に定住する予定だそうだ。
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