Jリーグ モンテディオ山形

J2モンテディオ山形~監督交代で急浮上の理由と歴史的背景

モンテディオ山形のサポーター 写真提供:Gettyimages

過去2度のJ1昇格時の成功モデル

山形は過去に2度のJ1昇格を経験している。1度目は小林伸二監督が就任した2008年、J2で2位となってクラブ史上初のJ1昇格を勝ち取り、その後も2年連続のJ1残留を達成した。2度目は石崎信弘監督が就任した2014年、J2の6位から出場したJ1昇格プレーオフでJ1への切符を勝ち取った。準決勝の磐田戦でGK山岸範宏がゴールを挙げ、“山の神”となったシーズンだ。この年には「第94回天皇杯全日本サッカー選手権大会」でクラブ史上初の決勝進出も果たし、J2クラブながら準優勝に輝いている。

1度目の小林監督時代は緻密なポジショニングによる自陣にリトリートした守備戦術で成功を掴んだ。2度目の石崎監督時代は相手陣内から強度の高いプレスでボールを奪いにいく攻撃的な守備で成功を収めた。

この「小林型」と「石崎型」が山形の2つの成功モデルとなっている。2016年限りで石崎監督が退任後3シーズン指揮を執った木山隆之監督は、「小林型」の成功モデルに近い戦術を採ったと言える。2020シーズンから指揮を執った石丸前監督は「石崎型」に近い。

小林監督は「守備の文化」を植え付け、大分トリニータ、山形、徳島ヴォルティス、清水の4クラブでJ1昇格を勝ち取った「昇格請負人」だ。未だに「あの監督さんのお話を聞いていると頭が良くなる」と地元山形のサポーターの方々が口にするほど、山形にとっても伝説的な指導者である。現在指揮を執るギラヴァンツ北九州では「石崎型」に近い攻撃的な守備で、就任前年はJ3最下位だったチームを優勝へ、翌年のJ2前半戦首位ターンにまで導いている。キャリアを進めるごとに拡げている戦術の幅が、山形の現在と似ているのは縁の深さを感じさせる。

クラモフスキー現監督はポゼッションスタイルの導入を試みている。自身が清水で解任の憂き目にあったように、通常はそのスタイル転換は苦労するが、山形にはすでに強度の高いインティシティがある。クラモフスキー監督も自分の指導哲学にあったクラブを選んだと言える。


半田陸(2019 FIFA U-17ワールドカップ)写真提供:Gettyimages

J1級GK陣や、主将DF半田陸の台頭

ディフェンスラインを高く設定して最前線からボールを奪いに行く攻撃的なスタイルに置いて、ゴールキーパー(GK)は重要な存在である。山形はGKに、FC岐阜やSC相模原で守護神として活躍してきたスペイン人のビクトル、韓国出身のミン・ソンジュンと外国籍選手を2人置き、リオディジャネイロ五輪にも出場した28歳の櫛引政敏が3番手。GK陣の層がJ1級に厚い。

現在の正GKである藤嶋栄介は山形を象徴している。2017年限りで所属クラブ無しのどん底に落ちた苦しい時期を経て、翌年に加入したレノファ山口でプロ入り後初の定位置を確保。J1川崎フロンターレへ引き抜かれるも、出番はなかった。そして昨季途中に加入した山形でポジションを確保し、山口時代に培った足下の技術やDFライン後方のスペースをカバーできる戦術的なGKとして貴重な存在となっている。2番手のビクトルもこのスタイルに適合しており、実績ナンバーワンの櫛引が3番手という格好だ。

また、クラブが築いてきた発展性の面では、山形の下部組織出身である19歳のDF半田陸の台頭が興味深い。2019年のU-17W杯ブラジル大会でU-17日本代表の主将を務めた半田は、本職センターバックながら現在は右サイドバックとして定位置を掴んでいる。従来のような上下動が激しいプレーは少ないが、タイトな守備と状況判断やゲームの読みに優れた新たなDFとして海外移籍の可能性も感じさせる逸材だ。

クラモフスキー監督体制移行後に大躍進を始めた山形。そこにはクラブとしての発展の歴史的背景がまだまだ隠されているだろう。

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