セリエA

元日本代表MF野沢拓也が現役引退…鹿島アントラーズで10以上の主要タイトル獲得

野沢拓也(写真左) 写真提供: Gettyimages

 関西リーグ1部から今季JFL昇格を果たしたFC TIAMO枚方は30日、元日本代表MF野沢拓也が今季をもって現役引退することを公式発表している。

 野沢拓也は1999年にJリーグ初出場を果たすと、2011シーズンまでの鹿島アントラーズ在籍期間で5度のリーグタイトル獲得、3度の天皇杯優勝、3度のナビスコカップ(現YBCルヴァンカップ)優勝を経験。2012シーズンはヴィッセル神戸へ完全移籍したものの、同クラブのJ2リーグ降格により2013年から再び鹿島アントラーズのユニフォームに袖を通す。その後、ベガルタ仙台、オーストラリアのウーロンゴン・ウルブス、FC TIAMO枚方と渡り歩き39歳で現役引退という決断を下している。

 同選手は「2020年限りで引退することに決めました。近年は、いつかは訪れる『引退』について考え始めていたようで、全く考えていなかったような…でも、ずっと考えていたような、そんな毎日でした。だから、自分でも何が決め手になったのか、うまく説明できません。体力的なこととか、気持ちの部分で頑張れなくなったとか、そういった理由もどこかピンとこない気がします。でも、自分の心がここで終わりだと言っているので素直にそれを受け入れようと思います」

 「ジュニアユース時代からお世話になった鹿島アントラーズ。野沢拓也を育ててくれた、親以上の存在でした。僕はアントラーズのおかげでプロサッカー選手となり、仲間と共に『タイトル』を目指して戦う面白さ、タイトルを手にする喜びを知りました。あの中盤でサッカーができたのは僕の宝物です。自分の中にアントラーズのDNAが流れていることを誇りに思います」

 「初めての移籍を経験したヴィッセル神戸。自分の力を発揮できなくて、チームを助けられなくて申し訳なかったという気持ちは今も持っています。僕は神戸の街も、サポーターも、大好きでした」

 「3年半、プレーさせてもらったベガルタ仙台。東日本大震災という大きな悲しみから立ち上がろうとする街、人たちに温かく迎え入れてもらい、自分にできることはサッカーしかない、サッカーで力になるしかないと改めて胸に誓って戦った時間でした」

 「ウーロンゴン・ウルブス。ブラジル留学をした時以来の『海外』でしたが、Jリーグとはまた違う景色をたくさん見て、感じられて、言葉に変え難い経験をできたことは人生の財産になりました」

 「FC TIAMO枚方。僕にとっては初めての社会人チームでしたが、純粋にサッカーを楽しめた2年間でした。仕事をしながらサッカーをする仲間の姿にたくさんの刺激をもらい、自分自身も改めてサッカーの魅力にとりつかれたような感覚にもなりながら中身の濃い時間を過ごすことができました」

 「そして、サポーターの皆さん! ともに戦い、喜び、泣いて、時には厳しい言葉をかけてもらってボールを蹴ることができ、幸せでした。いろんなチームで掲げてもらったゲーフラも、チャントも本当に嬉しかった。ありがとう!」

 「最後になりましたが、こんなにも長く、大好きなサッカーを続けられたのは、僕のサッカー人生に寄り添い支えてくれた家族や仲間、在籍したクラブでお世話になった皆さん、共に戦った選手、スタッフのおかげです。この場を借りて感謝の気持ちを伝えたいと思います。サッカー、楽しかったです! ありがとうございました」と現役時代に関わったすべてのクラブや関係者の方々に対してメッセージを残した。