2023年2月。Jリーグで通算464試合に出場したベテラン選手が海を渡った。アビスパ福岡(2008-2012、2015-2020)をはじめ、東京ヴェルディ(2013-2014)、大分トリニータ(2017)、藤枝MYFC(2021-2022)でもプレーしていたMF鈴木惇だ。
リトアニア1部のFKスードゥヴァに新天地を求めた鈴木は、なぜ、藤枝からの契約延長オファーを断って海外挑戦を選んだのか。移籍の経緯や日本サッカーとの違い、海外生活、在籍したクラブでの思い出などについて独占インタビューを行った。
この前編では、リトアニア移籍が決まるまで、リトアニアのサッカーについての興味深い詳細を。後編では、リトアニアでの日常生活や、日本での経験、これまでに在籍した4クラブについて伺った話を紹介する。
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理想の海外移籍とは異なるチャンス
ー2020年、アビスパ福岡の契約満了時に海外移籍を意識し始めたそうですが、具体的なきっかけはあったのでしょうか?
鈴木:元々、海外に行きたい気持ちはあったんですよ。実際、19歳の時に自腹でスペインのラ・リーガ(リーガ・エスパニョーラ)、ヘタフェのBチームへ練習参加に行ったこともありました。
でも、自分の中では、まずJ1でバリバリ活躍して日本代表に選ばれて、ヨーロッパに行くのはそれから、というのが理想の「海外移籍」だと思っていました。当時、自分はJ2にいたので、その「理想」からはちょっと遠い場所にいて…。
それより「アビスパ福岡をJ1に上げたい」「(自分も)クラブと一緒に向上したい」という思いがありました。海外への気持ちがゼロになった訳ではないんですが「ちょっと現実的じゃないな」と思っていましたね。2020シーズン後に福岡との契約が終わり、自分としてはもう1回J1にチャレンジしたいという気持ちがあったんですけど、代理人から突然「もし海外からオファーがあったらどうする?」と言われて、その時に「行けるんだったら行きたい」と思いました。
もちろんトップ選手が移籍するようなヨーロッパの5大リーグは難しいと分かっていたんですけど、それ以外のリーグでもいいから「行くチャンスがあるならとにかく行きたい」と純粋に思ったんですよね。それが最初のきっかけです。
FKスードゥヴァへ移籍決断の経緯
ーでも、その時は藤枝MYFCを選びましたよね。
鈴木:そうですね。2020年の12月だったので、新型コロナウイルスの影響もかなりあって、実際に海外からの正式オファーというのは届いていませんでした。「いろんな条件をクリアしたらオファーを出したい」という条件付きのものが、いくつかある状況でした。
藤枝を含むJリーグのチームは正式なオファーをくれていたので、返事を先延ばしするのも申し訳ないと思い、それで藤枝にお世話になろうと決めました。海外の件はちょっと置いておこう、という感じでしたね。
ーそれから約2年後、2023年2月にFKスードゥヴァへの移籍を決断。この時は、誰かに相談しましたか?
鈴木:2020年に「海外はどうだ?」と言ってくれた代理人は、21歳ぐらいからずっと一緒にやってきた人だったんですけど、その方は、海外からのオファーを引き出すというより、国内に広くネットワークがある方だったんです。
本当に海外へ行くなら、実際に海外で活躍している代理人の方が良いのかなと思い、まず、台湾にいる森本くん(元日本代表FW森本貴幸、台中Futuro所属)に相談しました。「海外に行きたい」と話したら、森本くんがその時一緒にやっていた本田弘幸さんという方を紹介してくれて、2022年の春、本田さんと正式に契約を結び、海外に向けて動いてくださるよう依頼しました。
ー森本選手とはアビスパ福岡で共にプレーしていますが、当時から親しかったんですか?
鈴木:凄く良くしてもらいました。ご飯に連れて行ってもらったり、家族ぐるみでお世話になりました。周りからは、ちょっと変わった印象を持たれがちなんですけど、彼は1番芯を食ったことを言うんですよね。それに、周囲の目に惑わされないというか、人と比べてどうこうじゃなく、自分の中にしっかりと軸を持っている人なんです。自分がやりたいことをとても大事にしている人なので、そういう姿勢も面白くて、他のサッカー選手とは違うなと感じていました。だから、こちらから色々話しかけて、慕ってもらえるようにしていました。
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