Jリーグ ヴィッセル神戸

ヴィッセル神戸の半端ない日本代表FW補強史。大迫や武藤だけじゃない!カズや大久保も!

FW三浦知良(現横浜FC)写真提供:Gettyimages
ヴィッセル神戸「半端ない日本代表FW補強史・2000年代前半」作成:筆者

【2000年代前半】キングカズ始めとする大物補強

21世紀に入って神戸が話題をさらったのは、日本代表のエースとして活躍して来たキングカズこと三浦知良の加入時である。初年度から2桁ゴール(11得点)を奪ったカズだが、その後は年齢的なプレースタイルの変化の影響でトップフォームを崩し、サテライト(2軍)でプレーすることも多くなった。ただその姿は「カズさんが腐らずにサテライトでランニングから先頭を走っているのに、俺が文句を言えるわけがない」と、当時のチームメイトであった播戸竜二らに半端ない影響を与えた。

その播戸は、2004年にカズとの2トップでキャリアハイの17得点を挙げたが、2005年の大半を怪我で欠場しチームはJ2に降格。4年間の在籍で通算30ゴールは少ないかもしれないが、播戸自身は2006年G大阪に移籍(復帰)後にフル代表デビューを果たした。

また、日本がW杯初出場を決めた試合「ジョホールバルの歓喜(1997年11月16日)」で決勝ゴールを挙げた岡野雅行や、同点弾を挙げた城彰二も同時期に在籍。岡野はサイドMFなどで活躍したが、城、播戸、カズ、平瀬智行らはポジションが重なってお互いに苦しむ時期もあった。この時期の、FWばかりに集中するハチャメチャ大型補強による費用対効果は薄く、シーズン前の期待値をは裏切ることの方が多かった。結果、2005年に神戸はJ1最下位となって初のJ2降格を経験した。


ヴィッセル神戸「半端ない日本代表FW補強史・2000年代後半」作成:筆者

【2000年代後半】大久保嘉人が孤軍奮闘

2006年にJ2で3位となり、入替戦を経て1年でJ1へ復帰した神戸。2007年から大久保嘉人が加入する。大久保は2年連続の2桁得点を挙げてドイツ1部のヴォルフスブルクへ移籍したが、出場機会に恵まれずに半年後に復帰し、2012年までプレーした。

同時期には大分トリニータで一世を風靡したスピードスターの松橋章太や、川崎フロンターレが強豪クラブへと変貌を遂げることに貢献してきた我那覇和樹も在籍。しかし、パサー不在や堅守速攻でカウンター主体のチーム作りでは鳴かず飛ばず。古参サポーターでも記憶に残っていないかもしれない。

逆に言うと、とにかく大久保頼りに尽きるチームだった。FWだけでなくサイドや中央問わずに中盤でもプレーした大久保は常に奮闘して来たが、最後はJ2降格でチームを去った。神戸のサポーターにはあまり快く思われていないようだが、この時期の大久保の献身的なプレーは2010年の南アフリカW杯でベスト16へ進出した日本代表の主力として大いに活きた。

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