Jリーグ ヴィッセル神戸

ヴィッセル神戸の半端ない日本代表FW補強史。大迫や武藤だけじゃない!カズや大久保も!

写真提供:Gettyimages

明治安田生命J1リーグのヴィッセル神戸は8月8日、日本代表の絶対的エースであるFW大迫勇也をドイツ2部のヴェルダー・ブレーメンから獲得したことを発表した。神戸は前日の7日にも、2018年FIFAワールドカップロシア大会のメンバーである元日本代表FW武藤嘉紀の加入を発表。さらに、バルセロナなどでプレーした元スペイン代表FWボージャン・クルキッチの加入も9日に発表された。

先月神戸からは現在J1得点ランクトップに立つ日本代表FW古橋亨梧が、スコットランドの名門セルティックへ完全移籍。高額な移籍金収入があったとはいえ、質量共にその穴を埋める以上の半端ない大型補強である。

やはり「イニエスタとプレーできる」ことは、大迫、武藤、ボージャンのような国際経験が豊富なフォワード(FW)選手にとっても魅力的なのだろう。しかしFW枠には限りがある。ボージャンと大迫はトップ下(MF)起用でも対応できるものの、そこは世界で最もサッカーが巧いかもしれない元スペイン代表MFアンドレス・イニエスタのポジションだ。怪我が多いとはいえ、チームの主将でもあるイニエスタのポジションのバックアップというのも奇妙な話である。

注目を集める神戸だが、もともと派手な大型FW補強が付き物のチームだ。ここでは神戸の歴史を大まかに5つの時代に分け、その時代の特徴を踏まえつつ現在に至るまでの「半端ない日本代表FW補強」を紐解いていきたい。


ヴィッセル神戸「半端ない日本代表FW補強史・1990年代」作成:筆者

【1990年代】20世紀を彩る大エースは永島昭浩

1992年Jリーグ創設当初の「オリジナル10(リーグ発足時に加盟した10クラブ)」ではない後発クラブの神戸は、前身の川崎製鉄水島サッカー部からプロクラブ化し1995年から活動を開始。練習初日に阪神・淡路大震災(同年1月17日)が起き「がんばろう神戸」を合言葉に復興のシンボルとして地域に根差した。1997年のJリーグ昇格後は下位に低迷していたが、黎明期のクラブでは代表経験のあるFWがチームを支えていた。

クラブ創設時に加入したのは、ガンバ大阪や清水エスパルスで活躍してきた地元神戸市出身の永島昭浩だ。今やフジテレビの永島優美アナウンサーの父としての方が有名になってしまったが、日本代表歴もありJリーグ昇格初年度の1997年には22得点を挙げるなど、神戸の絶対的エースでありシンボルでもあった。ちなみに顔は濃いが好みは薄味だそうだ。何よりも永島が背負った「13番」は神戸のエースナンバーとして、播戸竜二、大久保嘉人、我那覇和樹、小川慶治朗へと継承されていった。

初代J2得点王の神野卓哉は、FWよりもサイドMFとして起用されJリーグ昇格にも貢献。当時のスチュアート・バクスター監督には「サッカーを整理していただいた」と、現役引退後にも関係が続いた。現在神野はFC琉球の強化部長としてJ2で大躍進中のチーム作りを後押ししている。また、鹿島アントラーズの最初の黄金時代を知る黒崎久志は、長身でありながら足下の技術が光る。現在の大迫と似た「最前線のゲームメイカー」役をこなせる、当時としては進んだFWだった。

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