結局何がしたいか分からない
コンセプトの見えないフットボールほどつまらないものはない。どのようにボールを奪い、どのように相手のネットを揺らすのか。この問に対する解をアーセナルは見い出せていない。バーンリーやリーズ・ユナイテッドを目指せとまでは言わないが、明確なビジョンを持ってプレーに当たりたい。やはりコンセプトがしっかりしたクラブのフットボールは「ブレない強さ」を備えている。
戦術が機能する要素には「一貫性」と「再現性」と「継続性」がありこれらを網羅することで自ずと試合を制すると考える。強豪の仲間入りをするためには必要な3点となるだろう。今のアーセナルはどうだろうか?お世辞にもそれらが見当たらない。どこから敵陣に侵入するのかがバラバラで、似たような得点パターンがない。仮に勝ったとしてもその要因が何だったのか分析ができずにいる。
レスター・シティ戦やトッテナム戦で断続的にサイドから攻め上がったように、やればできるのになぜか次の試合ではそれを忘れたかのように戦う。残念ながら今のアーセナルは相対的にインテリジェンス性に乏しく、個人能力と偶発性に頼らざるを得ない環境下にいる。
首を傾げてクラブを去った人が多い
選手、監督、クラブ。クラブが長らく繁栄する上でも「三位一体」が求められる中、アーセナルは三者のまとまりが薄いと考える。監督が欲しい選手は強豪との価格合戦に競り負け獲得できず、前途有望な選手を何故かローン放出する。フロントは試合の結果よりもユニフォームの売れ行きやSNSでの反響に目を向ける。そうしたバラバラの状態を察し、多くの人間がアーセナルを旅立つケースが後を絶たない。彼らは皮肉にも旅立った先で大いに活躍しており、アーセナル時代の愚痴をこぼすインタビューがメディアでは恒例となっている。
ウナイ・エメリ氏がアーセナルを解任された後、ビジャ・レアルを率いてヨーロッパリーグを制したのは正に典型的な例だ。準決勝でアーセナルを巡り合わせたのも神様のいたずらだったのかもしれない。またエメリ氏は、アーセナル時代にウィルフレッド・ザハが欲しいとクラブへ要求したが何故かニコラ・ぺぺを獲得したことや、責任を自身に押し付けクラブは何も擁護してくれなかったことを解任後不満げにインタビューで発言した。
さらに問題なのが、こうしたことが監督・選手に留まらないということである。スヴェン・ミスリンタート氏(元スカウト部門責任者)やラウル・サンジェイ氏(元フットボール部門長)などクラブ重要職に就いていたスタッフにも同様のことが当てはまっている。ここまで円満で終わらないクラブはアーセナルだけだ。
人間性を疑うファンの存在
アーセナルが頭を悩ませている問題の中には横柄なファンの存在もある。
2019/20シーズンのホーム開幕戦の中ではあまりにも目を疑う光景がエミレーツスタジアムで見られた。被害者はこのシーズンから加入することになったダビド・ルイス。彼のアーセナルデビュー戦となったこの試合、ルイスがボールを持つ度にスタンドから大きなブーイングが鳴り響いた。それはアウェイ席に陣取るバーンリーサポーターではなく、なんとアーセナルサポーターからのものだった。宿敵チェルシーにいたとはいえ、これから同じ仲間になるルイスにここまでの仕打ちをするファンの姿勢には世界が呆れ帰った。
またSNS上では毎試合終了後に野次や汚い言葉が飛び交っている。勝っても「当たり前」負けたら「暴言」。アーセナルファン向けYouTubeチャンネルとして知られる「AFTV」の内容は愚の骨頂とも言えるだろう。残念ながらこうした現象は日本でも多く目撃される。身元がバレないことを良いことに、ストレスのはけ口かのように投稿しては周囲に迷惑をかけているシーンが目に入ってしまう。クラブもこうした人たちからのサポートを微塵も求めていないはずである。自らの発言内容を改めて見直すきっかけになることを心から願うばかりだ。
改めて言及する。こうした数々の問題点を抱えるアーセナルにはもう後がない。今やっているような「強豪クラブごっこ」から脱却するためにも、「抜本的な改革」をしなければ強豪クラブとの乖離をますます埋めることはできないだろう。再びあるべき姿に回帰するために、まず来シーズンはミッドウィークの試合がないことを活かしてリーグ戦に集中し少しでも上位への進出を目指していきたい。
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