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岡崎慎司とデルベッキオ~得点よりも勝点を量産するFWの流儀

マルコ・デルベッキオ 写真提供:Gettyimages

ローマ悲願のスクデットに導いたデルベッキオは31試合3得点

当時のローマを率いたのは「優勝請負人」の異名をとるファビオ・カペッロ。どんなに退屈なサッカーをしてでも結果を最優先させる監督だ。2度のレアル・マドリードの監督時代はどちらもリーグ優勝を果たしながら、「守備的過ぎる」との理由でどちらも1年で解任されるほどである。

そのカペッロ監督が就任して2年目を迎えた2001年夏のローマは、フィオレンティーナからクラブの象徴だったアルゼンチン代表FWガブリエル・バティストゥータを獲得。時速100km越えの豪快な右足シュートで“バティゴール”と鳴らすバティストゥ―タは、それまでリーグ20得点以上を4度も記録。しっかりとした土台が出来上がったチームに、「優勝を買った」と表現されるピンポイントかつ強力な補強だった。

主に[3-4-1-2]システムを使っていた当時、単独トップ下に君臨していたのは、エースナンバー10番を着る地元ローマ出身の“王子”フランチェスコ・トッティ。トッティは完全に守備を免除され、大金を叩いて獲得した31歳のバティストゥータにも無理はさせられない。しかもカペッロは世界中見渡しても最も守備にうるさい監督だ。

そこで主力を担うイタリア代表FWマルコ・デルベッキオが彼ら2人の守備の負担役を担った。前年までは同じくイタリア代表FWのヴィンツェンツァオ・モンテッラと2トップを組んでいたデルベッキオは、バティストゥータの加入によりサブ降格が噂されていた。モンテッラは前年18得点を挙げたものの、デルベッキオは11得点に終わっていたからだ。

ただ、すでに前年からトッティの守備の負担を任されていたうえでの11得点は希少価値が高い。指揮官からも高く評価されていた。それでも、いくら何でも自分を合わせた3人分はキツイ。過重労働である。それでもデルベッキオはその労災に認定されそうな汚れ役をも引き受けた。

その結果、バティストゥータは期待通りに20得点を挙げてスクデット獲得に貢献。トッティもそれまでのウイングではなく、トップ下として本格的にプレーしたシーズンで13得点。それだけでなく、スーパーサブに降格したモンテッラも勝負所で投入されて13得点を挙げていた。

デルベッキオ自身は31試合に出場しながら3得点のみに終わった。ユニフォームを汚し、相手を掻きまわす役割もこなしたことで彼等にスペースや時間を提供していた。勝負所となる時間帯でモンテッラと交代するまでハードワークを続けた。カペッロ監督もそれを高く評価していたからこそ、デルベッキオを先発要員として起用し続けたのである。


岡崎慎司 写真提供: Gettyimages

得点よりも勝点を量産できるFW

岡崎もデルベッキオもその役割に納得はしていないだろう。しかし、彼等は自分にやるべきことをこなし、地位を確立した。

彼等の名誉のために後述しておくが、デルベッキオはセリエAで3度の2桁得点を記録し、岡崎もドイツ・ブンデスリーガのマインツ所属時は2年連続2桁得点を記録している。

また、デルベッキオにオーバーヘッドキックのようなアクロバチックなゴールが多かっように、岡崎もレスターを「奇跡の優勝」に導いた見事なオーバーヘッドゴールなど、勝負所でゴールを期待できるストライカーである。

岡崎はレスターでもがき、スペイン2部へ移籍してストライカーとしてリスタートを図り、実際にそれが実ってリーガ1部でプレーする機会を得た。

しかし、レスターの奇跡から5年が経った今季、欧州ナンバーワンを決めるUEFAチャンピオンズリーグ(CL)決勝はマンチェスター・シティとチェルシーの対戦だ。シティにはマフレズがいて、チェルシーにはエンゴロ・カンテとベン・チルウェルというレスター時代のチームメートが在籍。さらにチェルシーの指揮官トーマス・トゥヘルは岡崎のマインツ時代の監督である。

サッカーという競技自体は急速に進化し、得点源は必ずしもFWである必要はなくなった。今こそ、岡崎には潤滑油のような役割を担ってもらいたい。時代は岡崎&デルベッキオ型FWに味方している。

岡崎もデルベッキオも得点よりも勝点を量産できるFWである。

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