
アンドレア・ピルロを手放したミラン
セリエAの中で多くのサポーターの記憶に残っている最大の失敗と言えば、ミランがアンドレア・ピルロをユベントスに引き渡したことだろう。
ピルロは2度のCL優勝(2002/03、2006/07)に貢献するなど、10年(2001-2011)に渡ってミランを支えていた。現役引退まで同クラブに残ってもおかしくはなかったが、2011年から監督となったマッシミリアーノ・アッレグリの元では出場機会がさほど得られなかったこともあり、2011年5月に現在は監督として指揮するユベントスに移籍することとなる。
ミランの栄光の時代はそこで完全な終わりを迎え、現在はCLはおろか、国内リーグも優勝できないシーズンが続いている。一方、ピルロが移籍したビアンコネーリ(ユベントスの愛称)は国内サッカーの頂点に再び立ち、現在セリエA9連覇中という記録的な王者となった。

ミシェル・プラティニを手放したユベントス
2011年にピルロの獲得で栄光を取り戻したユベントスにも、かつて1人の選手が引退したことで約10年もの間タイトルを獲得できない無冠のクラブとなった過去がある。そのかけがえのない選手とは元フランス代表MFミシェル・プラティニだ。
ユベントスは、1982年から1987年にかけてプラティニの存在によって、リーグ優勝(1983/84、1985/86)やCL優勝(1984/85)などを達成することができた。また、ビアンコネーリで自己ベストパフォーマンスを引き出せた同選手は、3度のセリエA得点王(1982/83、1983/84、1984/85)となり、3度もバロンドール(1983、1984、1985)を受賞した。
一方、1985年末に痛めた左足踵の炎症から回復できず、痛みを庇いながらプレーを続けていたプラティニはフォームを崩し、1986/87シーズン終了後に32歳の年で引退することを決意した。その後ユベントスは10年ほど、国内リーグでさえもそれほどの成績を残せなかった。

ヨハン・クライフを手放したアヤックス・アムステルダム
オランダのアヤックス・アムステルダムが国内タイトルを獲得するのは珍しいことではない。これまでに34回も国内リーグ、エールディヴィジで優勝をしている。しかし、継続的に欧州大会の頂点に立ったのは、ヨハン・クライフが所属していた時(1964-1973)のみであった。
クライフがいたことによって、アヤックスはCL3連覇(1970/71、1971/72、1972/73)、UEFAスーパーカップ2連覇(1972、1973)などを果たしている。
ところが、クライフが1973年の夏にバルセロナに移籍すると、アヤックスは20年ほど欧州大会のトップから姿を消した。次に国際的なトーナメントを制覇したのは1991/92シーズン、ヨーロッパリーグ(EL)優勝を果たした時である。

フランツ・ベッケンバウアーを手放したバイエルン・ミュンヘン
アヤックスとほぼ同じタイミングで同様の苦い想いをしたクラブがもう1つある。それは、2019/20シーズンのCL優勝を果たしたバイエルン・ミュンヘンである。
アヤックスの栄光の時代が終わった1973年から、バイエルンは元西ドイツ代表MFフランツ・ベッケンバウアーの活躍によってCL3連覇(1973/74、1974/75、1975/76)を果たすことができた。
しかし、ベッケンバウアーが1977年にアメリカのニューヨーク・コスモスへ移籍をすると、バイエルンは混迷の時代に陥り、再び欧州大会(EL1995/96)を制覇するまでに20年もの時間を要している。この時、同クラブを優勝に導いたのは監督として戻ってきたベッケンバウアーだった。
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